自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★「里山海道」への道~上

2013年04月14日 | ⇒ドキュメント回廊

   先にこのブログで紹介した、能登有料道路が「のと里山海道」=写真・上=に生まれ変わり2週間がたった。さっそく車で走行した知人たちと話していると、無料化のことより、案外と「のと里山海道(さとやまかいどう)」のネーミングが話題となっている。「季節が冬から春になったせいもあるが、走りの感覚と、里山海道の語感がぴったりとくる」と。全長83㌔は信号機もなく、料金所という停止のバリアもなくなり、時速80㌔での走りは確かに爽快である。

  滑り出しは上々かもしれない。パーキングエリア(PA)がどこもにぎわっている。先日、志雄PAで地域の名物として売り出し中のオムライス弁当を買おうとしたら売り切れていた。西山PAでは、駐車場(収容20台)が満杯で停めることができなかった。逆に、のと里山海道に利用客を奪われた国道249号や159号沿いのレストランやコンビニエンスストアは悲鳴を上げているに違いない。

   ところで、この「のと里山海道」のネーミングの由来にについて考察したい。名称は公募で選定されたものだが、おそらくこのネーミングのモチーフ(主題)にあるのは「能登の里山里海の道」ということだろう。「里」の字の重なりを避け、「海道」を充てることで上手に短縮した。「のと」としたのは「能登里山海道」では漢字ばかり6字も並んで読み難い上、硬いイメージを避けたいとの配慮からか。「能登の里山里海」は間違いなく、2011年6月に国連食糧農業機関(FAO、本部ローマ)によって世界農業遺産(GIAHS、Globally Important Agricultural Heritage Systems)の認定名「Noto's Satoyama and Satoumi」=写真・中=から由来している。

   では、GIAHSの認定名となった「能登の里山里海」についてさらに考えをめぐらす。能登には「農山漁村」はあったが、「里山里海」という概念はなかった。能登に初めて「里山里海」の言葉と概念を持ち込んだのは金沢大学の中村浩二教授だった。今から7年前の2006年10月、能登半島の北端の珠洲市三崎町で「能登半島 里山里海自然学校」という環境保全プロジェクトを中村教授が中心となって立ち上げた=写真・下=。三井物産環境基金の支援資金を得てである。

    生態学者である、中村教授は生物多様性を育む里山や里海という概念に注目していた。里山里海自然学校では、博士研究員が現地に常駐し、地域住民の協力を得ながら生物多様性調査を行うことをメインに、地域の子供たちへの環境教育も実施した。主な取り組みを整理すると3つになる。1)里山里海の生物多様性や人々の生業についての現状調査、2)地域や大学,都市住民のボランティアによる里山里海の保全活動、3)地域の小中学校,高校や大学,地域住民を対象とした環境教育。能登では、単発的に研究者が訪れ調査をしていく、いわゆる「訪問型研究者」による調査研究がされてきた。しかし、里山里海自然学校の設置により、地域社会の中に定住して研究を行う「レジデント型研究者」を置くことになる。これが地域にインパクトを与えた。博士研究員(生態学)が「里山里海自然学校」の名刺を持ち地域と交流を重ねることで、生物多様性を包含した里山里海の言葉の意味が徐々に地域に浸透していくことになる。

   そのインパクトは、学術面でも現れる。博士研究員の専門はキノコ類である。地域の人たちと山歩きをする中で、コノミタケと呼ばれるホウキタケの仲間があり、すき焼きの具材として能登で珍重されていることを知る。鳥取大学の研究者とDNA解析をすること新種であることが分かり、「ラマリア・ノトエンシス(能登のホウキタケ)」(和名:コノミタケ)と学名を付けることになった。現場に足を運んで得られた臨地的研究の一つの成果であり、地域にとっても能登の名が冠せられた学名は誇りともなった。

   活動拠点となったのは旧小学校(小泊小学校)の廃校舎である。かつて地域住民が親しんだ、思い出の詰まる場所だけに、大学の活動拠点という「敷居の高さ」は低くなり、気軽に地域の人たちとの交流の場ともなった。それが地域に活動が浸透していくことに役立った面もある。

⇒14日(日)朝・金沢の天気    はれ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする