自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆「里山海道」への道~中

2013年04月17日 | ⇒ドキュメント回廊

  能登半島は過疎・高齢化が進み、耕作放棄地も目立っている。追い打ちをかけるように2007年3月25日、能登半島地震(震度6強)が起き、2千もの家屋が全半壊した。能登の地域再生は待ったなしとなった。このタイミングで、文部科学省科学技術振興調整費のプログラム「地域再生人材創出拠点の形成」に申請していた「能登里山マイスター」養成プログラムが採択された。このプログラムのミッションを地域と連携して遂行するため、金沢大学と石川県立大学、そして能登にある輪島市、珠洲市、穴水町、能登町の2市2町の自治体の6者が「地域づくり連携協定」(2007年7月13日)を結び=写真・上=、同年10月に「能登里山マイスター」養成プログラムの開講にこぎ着けた。過疎地で大学できること、それは人材養成、あるいは人材開発しかないという中村浩二教授を中心としたチームのアイデアだった。というより、大学の教員・スタッフができることは地域のニーズに応じたカリキュラムをつくり、教育を施す、これしかないのである。

自治体には受講生の募集業務や、移住してくる受講生の居住の窓口として協力を願った。この地域づくり連携協定の締結によって、「里山」ないし「里山マイスター」の言葉と意味合いがさらに広く認知されるようになる。予想外に、都市圏からの移住者の参加(計14人)もあり62人が修了した。「能登里山マイスター」養成プログラムは5年間で終了したが、連携する自治体からの要望もあり、継続事業として2012年10月、能登「里山里海マイスター」育成プログラムとして再スタートしている。

  2008年、今度は石川県が「里山里海」に身を乗り出してくる。同年4月4日、石川県環境部長、水野裕志氏が中村浩二教授の研究室を訪れた。その内容は、5月28日にドイツのボンで開催される生物多様性条約第9回締約国会議(COP9)のサイドイベントで谷本正憲知事がスピーチを行うチャンスに恵まれた。県としては「里山景観条例」など里山に公益性をもたせるという画期的な内容の条例つくるというアピールを世界に向けて発信したい、と。それに向けて、里山をテーマとしたブレーンストーミングを知事を囲んで行いたいので出席してほしいとの依頼だった。ブレーンストーミングは4月28日午前10時から知事室で行われた。谷本知事は茨城県環境局長など環境畑を経験しており、マツタケの生育環境などについて実に詳しく、中村教授の生物多様性と里山の保全活用に関するレクチャーも熱心にメモをとっていた。

  同じ4月18日、国連大学等研究所いしかわ・かなざわオペレーティング・ユニットが金沢市に開設された。石川県と金沢市が誘致した国連大学高等研究所の拠点施設(世界で6番目、国内初)だ。初代所長に、あん・まくどなるど氏が就任した。そのミッションは、環境と持続可能な開発(特に里山・里海の保全活用、伝統文化の継承など)や人材育成活動である。また当時、国連大学高等研究所を中心に日本の生態学者、行政関係者らによる「日本の里山里海評価(JSSA)」(2007-2010年)の作業行われ、この50-60年間で起きた里山里海の変化について調査、検証をしていた。国連は2005年に地球規模の生態系の現状と今後の変化傾向を科学的に診断した「ミレニアム生態系評価」(MA)を公表しており、その後、世界各域でサブグローバル評価が実施され、JSSAは日本初のサブグローバル評価として注目されていた。石川県はその調査拠点の一つでもあった。

  谷本知事のボン行きは、スピーチだけではなく、トップセールスを兼ねていた。5月24日、開催中だったCOP9の現地事務局に条約事務局長のアフメド・ジョグラフ氏を訪ねた。中村教授がアドバイザ-として、あん所長が通訳としてそれぞれ同行した。知事は、当時名古屋開催がすでに内定していたCOP10での関連会議の開催をぜひ石川にと要請した=写真・中=。あん所長は知事の通訳という立場だったが、身を乗り出して「能登半島にはすばらしいSATOYAMAとSATOUMIがある。一度見に来てほしい」と力説した。このとき、身振り手振りで話すあん所長の右手薬指からポロリと指輪が抜け落ちたのだった。3人の熱心な説明に心が動いたのか、ジョグラフ氏から前向きな返答を得ることができた。27日にはCOP9に訪れた環境省の黒田大三郎審議官(当時)にもCOP10関連会議の誘致を根回し。翌日28日、日本の環境省と国連大学高等研究所が主催するCOP9サイドイベント「日本の里山里海における生物多様性」でスピーチをした谷本知事は「石川の里山里海は世界に誇りうる財産である」と強調し、森林環境税の創設による森林整備、条例の制定、景観の面からの保全など様々な取り組みを展開していくと述べた。同時通訳を介してジョグラフ氏は知事のスピーチに聞き入っていた。ジョグラフ氏の能登視察はその4ヵ月後に実現した。

  ジョグラフ氏が能登を訪れたのは2008年9月16日と17日の1泊2日の旅程だった。名古屋市で開催された第16回アジア太平洋環境会議(エコアジア、9月13日・14日)に出席した後、15日に石川県入りした。初日は能登町の「春蘭の里」、輪島市の千枚田、珠洲市のビオトープと金沢大学の能登学舎、能登町の旅館「百楽荘」で宿泊し、2日目は「のと海洋ふれあいセンター」、輪島の金蔵地区を訪れた。珠洲の休耕田をビオトープとして再生し、子供たちへの環境教育に活用している加藤秀夫氏(当時・小学校長)から説明を受けたジョグラフ氏は「Good job」を連発して、持参したカメラでビオトープを撮影した=写真・下=。ジョグラフ氏も子供たちへの環境教育に熱心で、アジアやアフリカの小学校で植樹する「グリーンウェーブ」を提唱していた。

   能登が印象に残ったのか、ジョグラフ氏がその後、生物多様性の国際会議で能登の取り組みをスピーチの中で紹介しているようだと何度か側聞した。

⇒17日(水)夜・金沢の天気    はれ

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