自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆次なる天皇の象徴像への問いかけ

2019年02月25日 | ⇒ニュース走査

     即位30年を祝う行事(24日)で天皇が述べられた言葉が印象深かった。天皇は憲法の第一条を常に意識され、この30年を歩んでこられたのだと理解した。第一条は「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」。「国民統合の象徴」として今何をなすべきなのか、象徴として国民に理解される象徴像(イメージ)について苦心されてきた様子がお言葉から読み取ることができる。お言葉は宮内庁ホームページから引用。

   「平成の30年間、日本は国民の平和を希求する強い意志に支えられ、近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちましたが、それはまた、決して平坦な時代ではなく、多くの予想せぬ困難に直面した時代でもありました。」
   「世界は気候変動の周期に入り、我が国も多くの自然災害に襲われ、また高齢化、少子化による人口構造の変化から、過去に経験のない多くの社会現象にも直面しました。」

   明治、大正、昭和の時代は戦争続きだった。平成の世では日本が関与する戦争は起きなかった。しかし、阪神淡路大震災(平成7年・1995年)や東日本大震災(平成23年・2011年)など自然災害のほか、安倍総理が先の衆院解散(平成29年・2017年)で「国難」と位置付けた少子高齢化が社会解題としって重く圧しかかっている。

   天皇皇后は被災地を訪れ、丁寧に被災者を見舞った。避難所を訪れ、膝をついての被災者と対話する姿は被災者に寄り添うお気持ちが伝わり、国民の共感を呼んだ。平成3年(1991)の雲仙・普賢岳(長崎県)の噴火の被災地への見舞いから始まり、その後の災害復興状況の視察を含め37回にも及ぶ(宮内庁HP)。国民はマスメディアを通じて、いつの間にか、この姿が天皇の象徴像、シンボリックなイメージとして認識するようになったのではないだろうか。

   お言葉の中でこう述べられた。「災害の相次いだこの30年を通し、不幸にも被災の地で多くの悲しみに遭遇しながらも、健気に耐え抜いてきた人々、そして被災地の哀しみを我が事とし、様々な形で寄り添い続けてきた全国の人々の姿は、私の在位中の忘れ難い記憶の1つです。」

   しかし、象徴像というのはある意味移ろう。時代は確実に変化する。不変ではない。次の時代にどのような姿が国民の共感を得るのか。天皇が問われた言葉を意味深く感じる。「憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、これから先、私を継いでいく人たちが、次の時代、更に次の時代と象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています。」

   そして、象徴像のあるべき姿のヒントをこう述べられている。「これまでの私の全ての仕事は、国の組織の同意と支持のもと、初めて行い得たものであり、私がこれまで果たすべき務めを果たしてこられたのは、その統合の象徴であることに、誇りと喜びを持つことのできるこの国の人々の存在と、過去から今に至る長い年月に、日本人がつくり上げてきた、この国の持つ民度のお陰でした。」

   天皇の仕事、それは「国の組織の同意と支持のもと」「この国の持つ民度」によって務め上げることができる、と。国民を信じ、象徴としての天皇を務め上げることの次世代へのメッセージと読める。

⇒25日(月)午前・金沢の天気     はれ 

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