ユネスコ無形文化遺産の農耕儀礼「奥能登のあえのこと」(2009年登録)は毎年12月5日に各農家で営まれ、目が不自由とされる田の神さまを丁寧にもてなす民俗行事として知られる。家の主(あるじ)は田の神は見えないもの、あたかもそこに客人がいるかのように家に迎え入れ、入浴と食事でもてなし、一年の労をねぎらう。12月5日に迎え、春耕が近づく翌年2月9日に送り出す。「あえのこと」は、「あえ=饗」「こと=祭り」の意味。この日に行事が一般公開されるのが能登町の柳田植物公園にある「合鹿庵(ごうろくあん)」という茅葺民家だ。(※写真は、2022年の合鹿庵「あえのこと」迎え行事)
元日の最大震度7の能登地震で、この合鹿庵も壁が剥がれ落ちるなどしたため、ことし2月9日の送りの行事は中止となっていた。そこで、間もなく迎える12月5日の迎え行事について、能登町ふるさと振興課に問い合わせると、建物の修復ができない状態が続いていて、迎え行事は中止するとの返事だった。ユネスコの無形文化遺産であり、国の重要無形民俗文化財(1976年指定)でもある民俗行事が見学できないことに残念な思いがした。もちろん、あくまでも一般公開向けの「あえのこと」行事が中止になっただけで、本来の各農家では例年通り行われるのだろう。ただ、他人事ながら不安もある。
奥能登(輪島市、珠洲市、穴水町、能登町)では地震によって、農地の亀裂など538件、水路の破損655件、ため池の亀裂や崩壊が165件、農道の亀裂や隆起などの損壊が398件に上った(3月26日時点・石川県農林水産課のまとめ)。このため、奥能登の田植えの作付面積は去年の2800㌶からことしは1600㌶にとほぼ半減した(同)。輪島市の白米千枚田では多数のひび割れが入り、耕せたのは120枚だった。
輪島市の旧知の農家に電話で尋ねると、元日の地震の被害に加え、9月の記録的な大雨で田んぼに河川の泥水が流れ込むなどの被害が広がっていて来春の耕作の見通しが立たないとのことだった。この農家では12月5日に「あえのこと」は行うものの、特別な料理などは供えたりせずに、「ほそぼそと行う」と。また、高齢やサラリーマンの農家では農業法人に委託して耕作するケースが増えていて、耕さない農家は「あえのこと」も行うことはないだろう、とのことだった。確かに、田んぼを耕さなければ農耕儀礼はない。田の神さまはこの奥能登の現実、時代の流れをどう思っているだろうか。
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