元日の能登半島地震で被災し、仮設住宅で生活している人たちから直接話を聴く機会がこれまで何度かあった。そのなかからリアルな話をいくつか。「家がペチャンコになった」から始まった話があった。ペチャンコは潰れて平になるとの意味。能登半島では2020年12月以降、地震が頻発するようになった。揺れに慣れてきて、「また地震か」という気持ちになっていた。この気の緩みのせいで、いざというときに持ち出す貴重品の置き場を定めておくのを失念していた。元日に大きな揺れが来て、貴重品どころか逃げ出すのがやっとだった。ペチャンコになった家からは貴重品を取り出せず、公費解体に立ち会うことにしていて、順番をひたすら待っている。
別の被災者の話。元日の夕方の揺れで、慌てて外に出た。「家にまだ人がいます。誰か助けてください」とひたすら叫んでいた。すると一台の車が止まった。小学生の子供ら家族が乗っていた。30代くらいの女性が車の中から出てきて、「これを履いてください」と長靴をくれた。靴を履かずに靴下で外に出ていたことに気がついていなかった。女性は「東京に帰りますので」と言い、そのまま去った。そのときお礼も十分にできずにいた。その長靴の恩はいまも忘れられない。色とりどりの円模様が入った黒長靴だ。「お礼をしたい」と繰り返し話していた。
ほかにも地震にまつわるさまざまな話を聴いた。地震で家屋がきしむギシギシという音を思い出して、いまも身震いすることがある。地震で物が落ちると言うが、元日の震度7の揺れではじつに奇妙な落ち方だった。棚の上にあった電子レンジが一瞬、宙に舞うようにして落ちた。
避難所生活の話。学校の体育館で避難生活を続けていた、もともと独り暮らしのシニアの話。体育館では、小さな子どもたちも一緒に避難所で生活していたので、走り回ったり、騒いだり、その姿にむしろ元気をもらった。困った話も。シニア層はトイレの回数が多く、夜中もトイレに何度か行く人もいる。トイレの帰りに手洗いをしない人も多く、問題になっていた。避難所にやってきたDMAT(災害派遣医療チーム)の看護師に相談すると、消毒液スプレーを配置してくれた。これをみんなが使うようになり、安心した。
震災の環境での暮らしで被災者には新たな発見や悩み事などさまざまにある。これまで話を聴かせてもらい、むしろ被災者から元気をもらったり、知恵を授かったりすることが多い。これからも被災者の話に耳を傾けていきたい。
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