これは風呂敷の美学ではないか、見た瞬間、感動した。先日、知り合いの方からウイスキーをいただいた。ボトルが花柄の風呂敷で包まれてなんとも優雅なのである=写真=。風呂敷は包んで運ぶ道具という単純な概念だったが、包み方、そして結び方によってこれだけ優美に見える。同時に風呂敷の姿にバリエーションというものを感じる。
これまで個人的には風呂敷は日本の古い道具だと思っていた。さらに「大風呂敷を広げる」という言葉があり、現実に合わないような大げさなことを言ったり、計画したりする意味で使うため、言葉のイメージそのものがよくなかった。その一方的なイメージが間違っていたと気付かせてくれたコメントがあった。7月1日付のブログ「★『マイバッグ』と『マスク』の両立問題」をチェックしてくれた京都の大学教授からのコメントだった。以下引用させていただく。
「私は15年以上前から風呂敷研究会のメンバーとなり、大学生を対象に風呂敷が日本の伝統文化であり、いかに便利かを教えてきました。昔のような使い方ではなくて、バッグにして使えばとてもおしゃれな風呂敷バッグになります。ナイロンの90㌢角の風呂敷なら折りたためば100㌘もなくてポケットに収まります。エコバッグに比べればとても軽くていつでも持ち運べますね。」
このコメントで気づかされたのは、今月から始まったレジ袋の有料化は、プラスチックの利用を減らし、再利用可能な袋やバッグを使うという「エコロジー運動」でもある。とうことは、風呂敷は再利用可能な包みの最先端ではないだろうか、ということだ。それがさらに使いやすく、折り畳み式の風呂敷バッグへと進化しているという。
大学教授のコメントは続く。「私は愛用してますが、風呂敷バッグの作り方を説明した本は10冊程度でてますが、実際に使っている人を見たことは皆無に近いです。風呂敷は何100年も前から使われてきた日本の伝統文化だと思いますが、ほとんどの日本人は西洋文化であるバッグしか使いませんね。大変残念ですが、もっともっと使う方を増やしたいと頑張ってます!!」
風呂敷そのものは道具のメインではなくあくまでもわき役である。包みと結びで姿を変えていろいろなシーンを演出する。そして、用済みになれば元の一枚の布に戻る。風呂敷の美学ではないだろうか。
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