日を追うごとに犠牲者が増えている。石川県庁危機管理監室のまとめによると、亡くなった人は202人、重軽傷者は565人に上る(9日午後2時現在)。道路の寸断などで輪島や珠洲など奥能登2市2町などでいまも24地区3300人が孤立状態に。生活インフラの復旧もまだ途上で、1万8000戸で停電、5万9000戸で断水が続いている。
2万8000人が地域の公民館など400ヵ所に避難しているが、低体温症や感染症などに注意が必要なことから、県では金沢を含め県内外の宿泊施設に被災者を移す「2次避難」へと動いている。気象庁はきのう8日の会見で、地震活動は活発な状態が続いていることから今後1ヵ月程度、最大震度5強以上の地震に注意するように呼びかけた。
今回の能登半島地震では能登の被災地が主に報道されているが、金沢市に隣接し、日本海に面した内灘町でも大きな被害が起きている。きのう現場を見に行った。シニア世代ならば聞き覚えがあるかもしれないが、内灘は1952年に在日アメリカ軍が砲弾試射場を砂丘に設置したことがきっかで起きた住民による基地反対闘争で知られる。その町の一部が今回の地震で道路がいたるところで隆起したり陥没したりしている=写真・上=。地面がゆがみ、多くの住宅や電柱が傾いている=写真・下=。道路が15度ほど斜めになっているところもある。
元旦の地震では内灘町は震度5弱だった。震源となった能登からは距離がある地域だが、なぜこのように被害が大きくなってしまったのか。隆起した現場をよく見ると、土砂が噴き上げた様子があちらこちらにある。これを見て液状化現象だと思った。2007年7月16日に震度6強の揺れとなった新潟県中越沖地震の後、柏崎市を訪れたことがある。このときも道路に土砂があふれていて、初めて液状化現象の現場を見た。
今回、液状化現象が見られた内灘町の西荒屋地区は、河北潟の西側に広がる。この地域は江戸時代から河北潟を埋め立てる干拓事業が進められてきた。もともと砂地だった場所なので液状化現象が起きたのだろうか。
⇒9日(火)夜・金沢の天気 あめ
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