高校時代に三島由紀夫の小説をむさぼり読んだ。作品のいくつかには思い出もある。『美しい星』(1962年刊)のストーリーで、自らを金星人と思い込んでいる女性が、金沢に住む金星人の青年に会いに行き、内灘海岸で「空飛ぶ円盤」を見る下りがある。内灘海岸へは金沢から電車で行けるので、小説を読んだ後、夏休みの夜に内灘海岸へ行った。UFOは見ることができなかったが、星空の輝きに圧倒されたことを今でも思い出す。
『金閣寺』(1956年刊)。鎌倉幕府が崩壊して、室町時代、そして応仁の乱(1467-77)で京の都が荒廃する。無を標榜する禅宗が隆盛し、臨済宗の僧でもあった足利義満が金閣寺を造営する。3階建ての1階は公家の寝殿造風、2階は武家の書院造風、そして3階は仏殿風で、仏教で世を治めたいとの想いが込められている。それを金閣寺の美と思い込んだ学僧が、放火するまでの経緯を一人称の告白で綴ってゆく物語だ。
大学浪人のときは京都の予備校に通った。浪人の仲間から「金閣寺を見に行こう」と誘われたが、受験も近く精神的に少々プレッシャーもあったので同行を断った。大学に合格して初めて仲間たちと見学に行った。美しいというより、歓喜で胸がこみ上げてきて涙が出たのを覚えている。
『潮騒』(1954年刊)は漁師と海女の純愛物語で、高校時代に初めて手にした三島作品だった。その後、東京で過ごした学生時代に映画も観た。山口百恵と三浦友和が主演だった。大学を卒業後に金沢にUターンし、地元の新聞社に入った。そして、『潮騒』が再び蘇ってくることになる。
輪島支局に転勤となり、舳倉(へぐら)島の海女を取材しルポルタージューで連載(分担執筆)することになった。舳倉の海女は映画のような白衣ではなく、黒のウエットスーツを着用していた。素潜りは映画と同じで、海女たちの息遣い、磯笛(いそぶえ)が聞こえた。舳倉の海女は重りを身に付け深く潜るので自力で浮上できない。そこで、海女は命綱を身に付けて潜り、船上にいる夫に引き上げてもらう。夫は命綱を手にしていて、クイクイと海女から引きの合図があると懸命に綱をたくし上げる。こうして夫婦が協働してアワビ漁をすることを舳倉では「夫婦船(めおとぶね)」と呼んでいた。信頼できる夫婦関係だからできる漁なのだ。当時この光景はまるで『潮騒』の続編を見ているようだと想像をたくましくしたものだ。ルポは後に『能登 舳倉の海びと』(北國新聞社)のタイトルで発刊された。
1970年(昭和45)11月25日、三島は陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地のバルコニーで自衛隊の決起を促す演説をし、割腹自決を遂げる。三島作品にのめり込んだ高校時代、自らの心に衝撃が走った晩秋だった。あれから50年だ。
⇒21日(土)夜・金沢の天気 はれ
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