2006年8月に家族でニュージランドのクライストチャーチを訪れ、ここを拠点に3泊4日の旅を楽しんだ。19世紀半ばに4隻の船でイギリス人800人がこの島にやってきて、いまでは南島最大の35万人都市をつくり上げたとガイドから説明を受けた。すさまじい人口増の背景には歴史があった。ニュージーランドへの移民が始まって間もなく、サザン・アルプスの各地で金鉱脈が発見され、1860年代からゴールドラッシュが沸き起こる。これで、ヨーロッパやアジアからも人が押し寄せた。さらに、1870年代からはヨーロッパでウール(羊毛)の人気が高まり、ニュージーランドはその原料の主力供給基地へと実力をつけていった。
このサクセスストーリーを背景に、街は活気にあふれた。1864年から40年かけて、街の中心部にイギリスのゴシック様式による大聖堂が建設された。クライストチャーチ大聖堂=2006年8月撮影=だ。見学でガイドからこの大聖堂は大きな地震に3度も見舞われながら40年の歳月を費やし1905年に完成したと説明を受けたのを覚えている。その大聖堂が2011年2月22日にクライストチャーチ近郊で発生した大地震で、シンボル的存在だった塔は崩れ落ちた。そして、「ガーデンシティ(庭園の街)」と称されるまでに美しい街にがれきがあふれ、ビルの倒壊で日本人28人を含む185人が亡くなった。思い出のある街だけに、震災のニュースはショックだった。そして、17日後の3月11日に東日本大震災(マグニチュード9.0)が起きた。
ニュージーランドの研究機関「GNSサイエンス」のホームページで、ガイドから聞いた大聖堂を造営する40年間で起きた3度の大震災を調べると、南島のクライストチャーチがある南島の北側では1868年10月19日にマグニチュード7.5、1888年9月1日に同7.3、1893年2月12日に同6.9の大きな地震が起きている。同じころ、日本でも濃尾地震(マグニチュード8.0、1891年10月28日)や明治三陸地震(同8.2、1896年6月15日)など大地震が8回も起きている。
今月5日、ニュージーランド北島のマディック諸島付近でマグニチュード8.1の地震が発生した。先月2月13日、福島県沖で同7.3、震度6強の揺れがあった。日本とニュージーランドは同じで環太平洋火山帯(Ring of Fire)の真上にあるため地震が比較的多い国だといわれる。両国での地震に連動するような関連性があるのか、ないのか。
GNSサイエンスによると両国の地震学者が研究を進めているとの記事「Japanese plate boundary findings have relevance to NZ」(2017年6月20日付)がある。この中で、「The Nankai Trough results are important for understanding the risk of large earthquakes and tsunamis generated at offshore plate boundary zones worldwide」(意訳:南海トラフの結果は、世界中の沖合プレート境界帯で発生する大地震と津波のリスクを理解するために重要である)。ボーリング調査や海底の震度センサーなど機器のデータを共有することで、地震学者によるネットワークの強化に期待を寄せる記事で、日本とニュージーランドで起きる地震の連動性については研究が始まったばかりのようだ。
クライストチャーチ大聖堂はまだ再建途上だ。完成したあかつきにはぜひ訪れてみたいと思う。震災からの復興の意志を貫く人々を称えるために。
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