自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

★「あさま山荘事件」から50年 現場を行く~下~

2022年01月18日 | ⇒ドキュメント回廊

   スマホのグーグルマップで南軽井沢の「あさま山荘」を探す。前回のブログで述べた「あさま山荘事件顕彰碑」の向こう側と方向が一致する。車で向かう。ゴールまでは道が複雑だった。そして坂道は急で積雪があり、気温はマイナス3度。この日はいったん宿に引き返し、翌日に出直すことにした。

     まるで要塞のような造り 機動隊突入から逮捕まで8時間のナゾ

   そして、きょう18日の午前中、「あさま山荘」がある山を再度上った。気温はマイナス5度だった。積雪の坂道を車で上るのはタイヤのスリップなどで難しくなくなり、車を降りて徒歩で上った。300㍍ほど歩くとグーグルマップの「あさま山荘」に着いた=写真・上=。友人たちと「これだ」と確かめ合った。

   1972年2月28日、連合赤軍が立てこもってから10日目に人質となっていた管理人の女性の人命が危ういと判断し、警察機動隊は救出のために強行突入した。午前10時、酷寒の山地での機動隊と犯人との銃撃の攻防、血まみれで搬送される隊員、クレーン車に吊った鉄球で山荘を破壊するなど衝撃的なシーンがテレビで生中継された。逮捕された犯人の引き回しの映像の中継されたのは午後6時すぎ。周囲は暗くなっていた。テレビ業界で今でも話題に上るのは、このあさま山荘事件は放送史で89.7%という驚異的な視聴率だった。

   現地に来て気づいたことだ。当時なぜ機動隊は強行突入から逮捕まで8時間余りもかかったのか、その理由がなんとなく分った。山荘の入り口は階段状で狭く、道路の下にある=写真・下=。そして、山荘そのものは切り立ったがけ地に建設されたものだ。まるで要塞のようだ。機動隊にとって、いわゆる突入による包囲は簡単ではないのだ。そして、連合赤軍がここから撃ったライフルの銃声はおそらくやまびこのように鳴り響いていたに違いない。連合赤軍側の威嚇射撃に対する警戒心は相当だったろう。それが同時に機動隊の動きを鈍らせたのかもしれない。

   そこで使われたのがクレーン車に吊るした鉄球で山荘の一部を破壊するという犯人たちへの威嚇攻撃だったに違いない。威嚇射撃と威嚇攻撃でにらみ合いが続いた。

   もう一つはテレビ報道について。元日本テレビのアナウンサー、久能靖氏の著書『浅間山荘事件の真実』(河出文庫)によると、逮捕された犯人の引き回しの映像の中継に成功したのは玄関の近くでカメラを構えていたフジテレビだけだった。当時の中継はマイクロ波を小型パラボラアンテナで何段にもつないで現地と東京を結ぶやり方だ。このため、犯人の引き回しを撮影する場所を予め固定する必要があった。NHKや日本テレビは高所から俯瞰した映像を狙っていた。ところが、逮捕は午後6時過ぎになり、中継映像は暗くなった。移動しようにも玄関前の道路は狭く、警察関係者や新聞・雑誌メディアなどが道路を埋め尽くしている。日中であれば問題はなかったが、逮捕の時間が遅れて移動と設定が間に合わなかったのだろう。

   半世紀前の事件現場であり報道現場でもあるこの地に立って、なるほどそうだったのかとナゾが解けたような気がした。あくまでも推測だ。

⇒18日(火)夜・金沢の天気    くもり


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