奥能登国際芸術祭が開催されている珠洲市の正院地区の道路を車で走っていると、田んぼに羽を休めるコハクチョウの群れが見えた=写真・上=。毎年この時季に舞い降りて来る。この日は、ざっと30羽はいただろうか。1枚の田んぼに水がはってあり、地元の愛鳥家の人たちが11月初旬に飛来するコハクチョウのために予め準備していたのだろう。
能登半島は川がない地域も多く、農業用水を確保するために中山間地に「ため池」が造成されてきた。その数は2000もあるとされ、中には中世の荘園制度で開発された歴史あるため池も各地に存在する。コハクチョウや国指定天然記念物オオヒシクイなどがため池や周辺の水田を餌場として飛来する。ため池や田んぼは水鳥たちの楽園でもある。越冬のためにシベリアから飛来したコハクチョウたちは3月になると北へ帰って行く。
珠洲の海岸を歩くとクロマツ林が所々に広がっている=写真・中=。日本海の強風に耐え細く立ちすくむクロマツを眺めていると、逆境に耐え忍ぶ自然の姿にむしろ寂寥感を感じてしまう。この能登の海岸のクロマツ林を描いたとされるのが長谷川等伯の国宝「松林図屏風」。もやに覆われ、松林がかすんで見える傑作である。
等伯が松林図屏風を描いたのは長男・久蔵が没した翌年の1594年。等伯56歳だった。京都で画壇の一大勢力となっていた狩野永徳らとのし烈な争い。強風に耐え細く立ちすくむ能登のクロマツに等伯が心を重ねたのはこの心象風景だったのだろうか。
今月4日付のブログで「能登の民家は特徴がある。黒瓦と白壁」と書いた。すると、ブログをチェックしてくれた知人から「どんな風景なんだ。ブログでアップしてくれよ」とメールが届いた。そこで、能登半島の中ほどにある七尾市中島地区の民家の外観を撮ったものがあったので載せてみた=写真・下=。この風景は、金沢と能登半島を結ぶ自動車専用道路「のと里山海道」の横田インター付近に見え、移動中の車中から横目で眺めることができる。
家屋は旧加賀藩の農家の特徴といわれた「東造り(あずまづくり)」の建築様式。切妻型の瓦屋根は、建物の上に大きな本を開いて覆いかぶせたようなカタチをしている。左右にある蔵は黒瓦と白壁のコントラスが鮮やかだ。黒瓦は「能登瓦」と呼ばれる。七尾市と珠洲市は瓦の産地で、耐寒性に優れると重宝されてきた。もう10年も前のことだが、新潟県の佐渡島に渡ったとき、神社仏閣や古民家の屋根が黒瓦だった。佐渡の人に尋ねると、「佐渡ではかつて北前船を通じて能登から瓦を仕入れていた。いまでも能登瓦と呼んでいる」と。このとき初めて能登瓦という言葉を耳にした次第。
⇒6日(月)午後・金沢の天気 くもり
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