自在コラム

⇒ 日常での観察や大学キャンパスでの見聞、環境や時事問題、メディアとネットの考察などを紹介する宇野文夫のコラム

☆「老兵」は能登で復権

2010年12月09日 | ⇒ドキュメント回廊
 愛車について。2004年に購入した「アベンシス」は、当時、トヨタがイギリスで生産している「欧州車」が売りだった。購入の動機は、デザインがよかったからだ。当時49歳という年齢でもあって、派手さはなく、どちらかと言えば渋めでトータルデザインが落ち着いて、飽きがこない車を求めていた。何台か見て周り、その中でアベンシスが一番しっくりときた。車体の色は濃紺にした。

  デザインだけではなかった。乗り心地もよかった。車の基本性能の面でも、シートはしっかりとしていて、操縦に安定性がり、遮音の良さ、ドアを閉める時にボンと心地よく響く。ただ一つ不満があった。それは燃費だった。レギュラーガソリンでの市内走行は、1㍑当たり7㌔がせいぜい。2、3年前からそろそろハイブリッド車にとの思いが募っていた。

 そのころから大学のブログラムを運営するために能登通いが始まった。当初は大学の共有車(プリウスやプレサージュなど)を予約を入れて使っていた。その能登通いも頻繁になる連れて、予約もままならぬようになってきた。そこで、昨年秋ごろから、アベンシスを能登の往復用に使うことにした。大学から能登半島の目的地までざっと150㌔の距離になる。往復で300㌔だ。6年目の「老兵」に、わが身をだぶらせながらムチ打つつもりで使い始めた。

 ところが、これがよく走る。金沢の山側環状道路から白尾インターチェンジを経由して能登有料道路を走るが、能登空港までの約100㌔は信号がない(料金所は4ヵ所ある)。さらに半島の先端・珠洲市まで主要地方道を使うが、信号は数えるくらいだ。セルフの石油スタンドで満タンにして往復し、また満タンにしてガソリン消費量と走行距離とを計算すると1㍑当たり20㌔なのだ。

 今ごろになって調べてみると、エンジンは直噴式ガソリン仕様の2Lエンジンとの説明がある。特徴は、排出ガスのクリーンさで、超-低排出ガスレベルを達成しているという。確かに欧州の排出基準をクリアしたとの「三ツ星」のステッカーが貼ってある。さらに、連続高速走行の多い道路では、抜群の安定感と燃費を発揮する、とある。つまり、金沢のような城下町の都市構造はクネクネとした、信号だらけの道路で、アベンシスが持っている本来の性能が発揮できないのだ。

 さらに、往復300㌔運転しても疲れないのだ。大学の共有車のプリウスで何度も通ったが、疲労感が出る。ところが、アベンシスはシートのしっかり感と、操縦の安定性、遮音の良さで体と精神への負荷が少ないことに気がついた。

 気づかなかった。見た目のスタイルだけで判断して購入していた。市内走行で燃費が悪いとグチッていた。本来の車の走りについてもっと知るべきだった、と今さらながら反省の弁だ。こうなると、不思議と「老兵」に対する敬意やら、いとおしさが出てくる。老兵は能登で復権したのだ。輸入採算性の悪化で、トヨタはイギリスからの輸入を2008年に停止すると発表している。もうしばらく、いたわりながら能登の往復300㌔を走らせてやりたい思っている。

※写真は、輪島市曽々木海岸をバックにした愛車

⇒9日(木)夜・金沢の天気  雷雨
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★むべなるかな

2010年12月05日 | ⇒メディア時評
 ムベという果実をご存知だろうか。先日、その実を初めて食べた。アケビ科なのだが、熟すると裂けるアケビとは違って、ムベは赤くなるが裂けない。筋目を読んで両手で裂くと、半透明の果肉をまとった小さな黒い種子が多数あり、ほのかに香りを漂わせている。これをアケビのように種子ごとほうばるようにして口に入れる。甘い果汁が口の中で広がる。

 ムベは、いただいた能登半島の珠洲市でオンベと呼ばれている。インターネットで方言名を調べていると、グベ(長崎県諫早地方)、フユビ(島根県隠岐郡)などいろいろある。ニホンザルが好んで食べる、とある。「むべ」の語源を示唆するようなページもあった。面白いので、以下、引用して紹介する。

 琵琶湖のほとりに位置する滋賀県近江八幡市の北津田町には古い伝説が残っているそうだ。7世紀のこと。狩りに出かけた天智天皇がこの地で、8人の男子を持つ老夫婦に出会った。「汝ら如何(いか)に斯(か)く長寿ぞ」と尋ねたところ、夫婦はこの地で取れる珍しい果物が無病長寿の果実であり、毎年秋にこれを食するためと答えた。これを賞味した天皇は「むべなるかな」と納得して、「斯くの如き霊果は例年貢進せよ」と命じた、という。そのころから、この果実をムベと呼ぶようになったという。10世紀の「延喜式」には、諸国からの供え物を紹介した「宮内省諸国例貢御贄(れいくみにえ)」に、近江の国からムベがフナ、マスなど、琵琶湖の魚と一緒に朝廷へ献上されていたという記録が残っているそうだ。この地域からのムベの献上は1982年まで続いた。

 「むべなるかな」は、「まったくそのとおり」の意味で使う。大量のアメリカ外交公電を公表し、オバマ政権と世界の外交当局を揺るがせている内部告発サイト「Wikileaks(ウィキリークス)」。外交公電のほとんどは、過去3年間にアメリカ国務省と270の在外公館の間で交わされたもので、大使館員らと駐在国の閣僚や政府高官の会話が中心となっている。では、ウィキリークスで公表された内容は果たして内部告発なのか。4日付の各紙によると、中国の外務次官が2009年4月にアメリカ大使館幹部に「北朝鮮は大人の気を引く『駄々っ子』のような行動をする」「中国も北朝鮮のことが好きではないかもしれない」と語ったとの公電が暴露されたとあった。中国高官が本音を語ったものだが、「むべなるかな」ではないのか。普段ニュースに接していれば、誰だってそう思うだろう。どこに告発性があるのか。

 アメリカ政府の外交公電流出については、イラク駐留当時に秘密文書を閲覧できる立場にあった陸軍上等兵の関与が濃厚になっている。25万点という数には驚くが、ロシアのプーチン首相の評価「プーチン首相がバットマンでメドベーチェフ大統領は相棒のロビン」、イタリアのベルルスコーニ首相の評価「軽率でうぬぼれが強い」、北朝鮮の金正日総書記の評価「体がたるんだ年寄り、精神的、肉体的なトラウマを抱える」などは、どれも「むべなるかな」であり、どこに機密性があるのだろうか。ただ、アメリカの外交公電とは、悪口に満ちた外交官の内緒の話だとうことはよく理解できた。

 内部告発は、ある種の目的を持って発掘するものだろう。歴史の舞台裏で権力者によって隠されていた事実を赤裸々にしてこそ価値がある。内部告発サイトならば、「むべなるかな」ではなく、「げにあるまじきこと」の暴露だ。

⇒5日(日)夜・金沢の天気  はれ
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☆街のつぶやき

2010年12月02日 | ⇒ニュース走査
 今回も金沢市長選(11月28日)の話だ。選挙の前日、金沢市役所の近くにある商店街の世話役がこんなことをつぶやいていた。「山出さん(現職)の取り巻きに危機感がないね。応援演説で『絶対的な多数で再選をお願いします』と言っていた。あれじゃ、当選確実と言っているようなもので、演説を聴いている人は投票場に行こうという気が削がれるね」。その言葉は的中した。投票率は、現職が5選を果たした前回(2006年)を8・54ポイント上回る35.93%だったが、現職は1万2千票近くも得票を減らし、新人に1364票差で破れた。

 共産以外の各政党の支援を受け、県会議員と市会議員40人ほどが支える山出陣営は当初から「横綱相撲」と言われていた。候補者は79歳、6期目への挑戦だった。今回の選挙は「多選」というより、「高齢」の是非が大きな焦点となった。新人の山野之義氏(48)は「79歳の市長と古い政治を続けるか。48歳の私と一緒に新しい市をつくるか」と訴えていた。私が投票場(小学校)への道を歩いていると、前を歩いていた3人の中高年の女性たちから「コウキコウレイシャ(後期高齢者)やね・・・」という言葉が漏れていた。続く言葉は聞こえなかったが、後期高齢者はよいイメージで使われることはないので想像はついた。

 現職に不利な訃報もあった。金沢市と隣接する白山市の現職市長が急性心臓疾患のため死去した。79歳。金沢市長選のほぼ1ヵ月前の10月24日のこと。女性たちが話していたのはこのことだったかもしれない。

 告示前、「山野不利」との下馬評だった。今回の市長選では市議39人のうち、過半数を超える議員が現職・山出氏を支援し、山野氏についたのはわずか8人の一期目の若手市議だったからだ。ことしの9月議会でこの若手市議グループが市長の任期を原則3期12年とする「市長の在任期間に関する条例案」を提出し、否決された。最終的にこの若手市議グループが山野氏出馬を後押しするカタチとなった。裏を返して言えば、若くて勢いはあるが、強力な支持基盤も動員力もなかった。

 当然、選挙運動は組織動員を頼む個人演説が中心の現職と、街頭演説が中心の新人の対照が際立った。多い1日で40回も街頭に立った新人には、神奈川県の松沢成文知事、前横浜市長の中田宏氏らが相次いで応援に駆けつけ、多選批判を訴えた。また、日本創新党(党首は前東京都杉並区長の山田宏氏)の単独推薦を受けており、山田党首らも最終日に訪れ、歯切れのよい演説をぶった。一方の現職の戦いぶりについて、冒頭の商店街の世話役は「個人演説会のたびに候補者を紹介するビデオを見せられた。われわれのような動員組は4回、5回と見せられ、さすがに嫌になったよ」と。

 厳しい言い方をすれば、35.93%の投票率であり、新人は戦いには勝ったかもしれないが、選挙で勝ったといえるかどうか。一方、6選を目指した現職の敗因は高齢・多選のせいだけだろうか。これまで勝ちパターンだった組織選挙は今では旧態依然として、あるいは制度疲労を起こしているようにも思える。組織への帰属意識より、有権者としての個の意識だ。金沢の選挙のスタイルもようやく普通になった、ということか・・・。

⇒2日(木)夜・能登の天気  はれ
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★流れ行く記憶

2010年12月01日 | ⇒トレンド探査
 当時は「ワッカマワシ」と言っていたような記憶がかすかにある。昭和33年(1958)年に日本の子供たちの間で大流行した、腰を使って回すフラフープのことである。ワッカとは輪のことで、それを回すのでワッカマワシ。当時、幼稚園だったお寺の渡り廊下で遊んでいた。フラフープというしゃれた呼び名ではなかったように思うが、4、5歳ころの記憶で定かではない。

 過日、能登半島・輪島市の公園を通りかかると、子供たちがフラフープに興じていた=写真=。腰を振って、実に楽しそうにこちらに手を振ってくれたので、思わずカメラに収めた。昔取った杵柄(きねづか)で、いまでも自分もできそうだと思うのが不思議だ。フラフープが再び日本でブームになっているようだ。

 記憶がまた蘇る。当時、そのフラフープが突然消えた。幼稚園の遊具場に朝一番乗りでやってきた数人が「ワッカがない」と叫んでいた。記憶はそこまでだ。それ以降、フラフープは脳裏からぷっつりと消えるのだ。

 その理由を先日の新聞紙面(11月28日付・朝日新聞)で知った。記事によると、1958年11月に千葉県内の小学校が「フラフープ禁止令」を出した。腰で回すことで「おなかが痛くなった」と病院で手当てを受ける子どもが各地で出た。腸捻転(ねんてん)を起こすなどの風評が広がり、旧厚生省もフラフープの人体への影響を検討する事態になった。それが新聞やラジオ、まだ黎明期だったテレビなどのメディアで報じられ、健康被害をもたらすという根拠のない風評でブームはあっという間に去った、というのだ。

 当時から、健康に関する情報伝達は異常に速かったのだろう。その状況はいまも変わらない。健康の悪い情報に加え、メタポリック症候群(腹囲の基準に加えて、高脂血症、糖尿病、高血圧のうち2つ以上に該当)によいとか、ダイエットによいとかといった情報まで含めると、流行り廃れが実に激しい。昭和40年代、健康食品としてブームとなった紅茶キノコもそうだろう。結局、一杯も口にすることがなく流行は去った。「紅茶キノコ」という名前だけが脳裏に記憶されている。

 人はブームに踊らされ、そして移り気だ。「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」という一文(松尾芭蕉『奥の細道』)がある。これになぞらえば、ブームというのは永遠に旅を続ける旅人のようなものであり、来ては去り、去っては来る年もまた同じように旅人である。だから「流れ行く」と書く。そのブームの対象に健康だけでなく、政治も入るようになった観があり怖い。

⇒1日(水)朝・金沢の天気  はれ
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