しし座流星群について過去の歴史を調べると面白いことが分かります。
書籍等を参考にして流星雨が観測された年号(西暦)を並べてみますと(↓)
1366, 1533, 1566, 1666, 1766, 1799, 1833, 1866, 1966
何か気付きませんでしょうか?
そうです、年号の下2桁が33の倍数になってるんです。
世界のナベアツも吃驚するようなこの奇妙な事実は、母彗星であるテンペル・タットル
彗星の公転周期が約33年である(約33年ごとに太陽や地球に近づくような楕円軌道を持つ)
ことに関連性があります。
前の記事で紹介したとおり、1998年は肩透かしを喰らったわけですが、前回の流星雨が
1966年に見られたということは、上記の年号の法則からすると次は1999年の方が大本命
と考えるのは自然な流れでしょう。ということで1999年は前年以上に期待感の膨らんだ
事前報道がなされたような気がします(詳細はこちらをご覧ください)。
この年の11月17日、天気は気圧の谷の通過で下り坂になると予報される中、fornax8は
出掛けないで後悔するよりも、出掛けて後悔した方がマシとの考えから、前年と同じく
長野県川上村に向っていました。しかし、その途中で空模様を確認すると、目指す方向
には分厚い雲があって晴れ間が広がる可能性は低い印象。時刻は20時を過ぎてました。
そこから晴れ間を求めて迷走した挙句、静岡県の静波海岸付近に辿り着きました。時刻
は18日の3時過ぎ。しし座から北斗七星の方向に広がっていた晴れ間に最初の流星を確認。
しかし、流星雨にはなってない模様。しばらく空を凝視していましたが、西から容赦なく
雲が流れてきて4時にはベタ曇りになってしまい、結局数えた流星数は5個止まりでした。
雲の上では大スペクタクルが展開されているのではないかと気が気でない思いでしたが、
朝一番のラジオのニュースで、天候に恵まれた地域でも1時間に20個ぐらいしか見られ
なかったと報じられ、妙にホッとしたのを憶えてます。
所要4時間もかかって家に戻り、即爆睡。夕方に起きて夕刊を見たら「がっかり流星群」
との見出しで流星雨は不発だったことが記事になってました。しかし、インターネットで
海外の観測速報を見たら唖然呆然! ヨーロッパから中東にかけて1時間あたり5000個
の流星乱舞が見られたというのです。1時間=3600秒ですから、平均で1秒に1個以上の
ハイペースで流れたことになりますね。帰宅後にちょうど爆睡し始めた時間帯に、深夜
~夜明け前を迎えていた地域では大騒ぎになっていたわけです。寝ないで起きていても
日本は昼間ですから見られるはずもなかったのですが、残念な気持ちでいっぱいでした。
で、夜空を見上げると、前夜とは打って変って快晴になってました。悶々とした気分で
平穏な星空を眺めているうちに、出現ピークは過ぎたものの昨年のような大火球が飛ぶ
可能性もゼロではないと思い始め、今夜は近場に行って見ようと決断し、山梨県東部の
山中へ出陣。23時過ぎに目的地に到着し、ぼんやりと北の空を眺めていると、北極星の
下に長経路の流星がほとんど水平に流れていくのを目撃。さらに数分後、今度は天頂に
長く尾を引く明るい流星が出現。いずれも東の方向から飛んできているので、しし座群
の流星に間違いありません。そこで、日付が変る時間帯より流星数のカウントを開始。
0時台は約45分間で28個のカウント。輻射点がまだ低いことを考慮すると結構な数です。
1時近くには流星の飛ぶ間隔が短くなってきたので、大急ぎで撮影機材をセットアップして
写真撮影を開始。1時台には60個以上の流星を確認し、前年の4時台に数えた59個を
上回りました。2時台は80個程度、3時台は90個以上を数え、流星雨とは言い難いものの
3秒間で5連発があったりと、かなり見応えのある状況になりました。4時台には77個と
若干減りましたが、結局5時過ぎまでの約6時間で300個以上もの流星を目撃しました。
普通なら出現ピークから半日以上も経過しているので、活動は終息に向うはずなのです
が、おこぼれがあったのか、あるいは別な山に当たったのか、何とも予想外で気まぐれな
流星群活動には驚かされました。ただ、明るい流星は少なかったため、写真の成果は
イマイチ。こんなのしか撮れませんでした(↓)
【しし座流星群1999】
銀塩一眼レフカメラ+28mm広角レンズ使用 1999年11月19日撮影(6画像合成)
ということで、流星雨が最も期待できると思われた年も、日本では残念ながら中規模の
活動しか見られませんでした。んー、次の流星雨まで33年も待たないといけないのか・・・
(続く)