1999年にヨーロッパ~中東で流星雨が観測されたことから、次に流星雨が見られるのは
母彗星が再び戻ってくる32年後以降になるだろうと考えられました。
流星群においては、母彗星が撒き散らしたダストが大気圏に突入することで流星になる
ということがよく知られています。そのため、ダストは母彗星の軌道を中心とした空間
に濃く分布しているはずであるとの考え方に基づいて、母彗星が地球軌道との近接点を
通ってからあまり時間が経過しないうちに、地球がそこを通過すれば、流星雨が起こり
易くなるといった予測が一般的でした。その理論によると、1998年に日本で大流星雨が
見られるはずだったのですが、実際には見られませんでした。1972年にも同じ考え方を
ベースにして、しし座流星群とは別のジャコビニ流星群が大出現するという噂が広まり、
日本中で大騒ぎになったらしいのですが、残念ながら不発に終ったという前例もあった
ことから、流星雨の出現予報は極めて難しいということを改めて思い知らされた専門家
も多かったようです。
ところが、1999年の流星雨について出現ピークの時間を誤差数分でピタリと当てた天文
学者がいたのです。その天文学者とは、英国のデイヴィッド J. アッシャー博士です。
この先生はオーストラリア国立大のロバート H. マックノート博士との共同研究により、
これまでにない全く新しい理論に基づいて、1998年から数年間におけるしし座流星群の
出現ピーク時間の予報と推定出現流星数を発表していました。現在では「マックノート
・アッシャー理論」または「ダスト・トレイル理論」と呼ばれている画期的な計算方法に
よる流星群ピーク予報です。非常に難しいですが、詳細について知りたい方は、次の
サイトをご覧になるとよろしいかと思います。
http://www.astroarts.co.jp/special/leo2001/evolution/index-j.html
で、その理論に基づく各年の出現予報は以下のようなものでした。
1999年:ヨーロッパやアフリカを中心に500~1200個/時の流星雨が見られる
2000年:西ヨーロッパ、北中米で平年より多めの流星群活動あり(100個/時)
2001年:北米で2500個/時、東アジアで9000~15000個/時の流星雨が見られる
2002年:北米で6000個/時の流星雨が見られる
2006年:西ヨーロッパや西アフリカで平年より多めの流星群活動あり(120個/時)
※予想流星数はいずれも理想的な観測条件に換算した値
なんと! 2001年に日本で流星雨が見られるというのです。日時は11月19日の2~3時台。
輻射点が高いところまで昇る時間帯で、月も沈んでいるため、絶好の条件になりそう。
しかし、母彗星が地球の近くを通過してから3年以上経った後で流星雨が見られた例など
過去にあったんだろうか? それに加えて、平年なら11月18日未明に極大を迎えるのに、
翌19日未明にピークが来るなんてことがあるのか? どうも信じがたく、眉唾モノという
印象を受けたものです。
さて、そんな新理論に注目が集まった2000年、この年のしし座流星群は月明りの影響が
あって最悪の条件とされていました。前述のダスト・トレイル理論による予報でもあまり
期待できない状況でしたが、通常予想の極大日が週末と重なったこともあり、fornax8は
この年も2夜連続で流星群を迎え撃つのでした。
11月17日の晩は天候が思わしくない中、八ヶ岳東麓に出撃。明けて18日の午前4時前後
になってようやく晴れ間がのぞきましたが、雲量が多かったことと観測時間が短かったこと
もあって、約1.5時間で41個の流星目撃にとどまり、写真の方も成果無しに終りました。
翌18日は長野県川上村に出向き、概ね快晴の星空の下、夜半頃から夜明け近くまで粘り
ました。19日3時35分には北斗七星の方向に現れた-4等の火球を目撃。この夜で最も見事
な流星に遭遇できたものの、数的には低調な活動で、カウントした流星数は36個止まりと
何ともお寒い結果でした。で、写真でとらえた流星もショボイの1個だけ(↓)
【しし座流星群2000】
銀塩一眼レフカメラ+28mm広角レンズ使用 2000年11月19日撮影
しかし、これだけ寂しい状況だと、ダスト・トレイル理論が予言する翌年の流星雨への
期待が逆に高まることになりました。そして新世紀元年、ついにその時が来たのです。
(続く)