みぃちゃんの頭の中はおもちゃ箱

略してみちゃばこ。泣いたり笑ったり

文語文の読書

2011年12月07日 23時08分42秒 | お仕事・学び
最近は、寝る前に30分から1時間くらいの読書をしています。

ミステリーやライトノベルといった類 (たぐい) ではなくて、腰を据えて、漢和辞典を片手に、漢字や熟語の読みや意味を調べながらの読書です。

明治期の本には、今では使わない漢語が多く使われています。

かつて、公式な文章は漢文で書かれました。時代が下って漢字かな混じり文が書かれるようになっても、書物は、漢文に基礎を置くいかめしい文語文で書かれました。明治に入ってもなお、学問は漢籍やいかめしい文語文で書かれた書物が中心でした。当時の教育を受けた人たちは、漢語によく通じていました。必然的に、その人たちの書く文章には漢語が多く使われることになります。今ではなじみのない言葉ばかりです。

漢字は文字を見ればほぼ意味をつかめますが、勉強のために、逐一辞書を引いて読みや意味を調べながら、本を読み進めています。

文語文は本当にリズミカルです。現代の口語文とは比べものにならないほどテンポのよい文になっています。

文語は普段話す言葉とかけ離れています。文語文は、心に浮かんだり口をついて出てきたりした言葉をそのまま写したわけではなく、いったん書き言葉というフィルターを通しているはずです。なのにテンポがよく、胸に迫ってきます。
流涕して立つこと能はず (注: りゅうていして……あたわず)

涙が流れ、立っていられなかった

このリズム感の差がどこから生まれるのか、不思議なものです。