hisakunnのブログ

日米の民主主義崩壊

日本人の国語力?

2015-08-15 19:31:28 | 日記
 自分の発する言葉に自信が無く、思考としても確立がなされてない人の言葉は、人に対して真意が伝わりません。 人間の言葉は、使い方一つで中身が違った形で人に伝わります。

 その意味で、十分な学習がなされていない人の発言には絶えず、捕捉する説明が必要になります。 学力が不足している人は、その捕捉も適切に出来ません。 すると、どうなるでしょう? 伝えようとする事が益々、不明慮になり更に説明を加えなければならなくなります。

 特に複雑な日本語です。 その良い例が安倍の会見や、この度の談話です。 自分自身でさえ、伝えようとする言葉の意味が十分に理解出来ず、それも含みや思惑を裏に隠して、談話を完成させようとするから、必要でもない説明や取り繕いが増えます。

 日頃の国会でも、自分は丁寧に説明しているつもりが、どうでも良い無駄な言葉が増えているるだけ。 意味が不明瞭になるから一層、捕捉する言葉が多くなる。 一つの質問にする回答が2倍、3倍の長さになる。

 つまり、簡単、明瞭に最低、必要なだけの言葉を選べないレベルの低さです。 例えば、天気予報でも明日は晴れです。 とだけ伝えれば良い時もあります。 所により、にわか雨が降るかも知れませんという説明が必要な時もあるでしょう! でも、必要な範囲でだけ、付け加えれば良いのです。 

 テレビの天気予報などでは、放送時間の都合で余分な説明を付け加える場合もあります。 ところが、所構わず、だらだらと言葉を付け加えたくなる節操のない安倍のような御仁も多いのです。 それが為に、安倍という御仁は、いつも余分な時間を必要とし一層、真意が伝わりません。

 世間では、それを丁寧な説明と言う人もいます。 同様に日本語の使い方が理解出来ない人です。 こういう人の言葉を無駄口と言います。 聞く人によって無駄口さえ丁寧な説明になるようです。 単に口数が多いだけの総理では、日本の真意は伝わりません。 

やはり足りない、ごじゃあます総理、安倍の談話!

2015-08-15 00:01:26 | 日記
何が足りないか?
国語力です。公の談話として何が必要かが解らない。 自分の発表する談話の中身が自分に理解出来ていないから、色々と説明を加えたり、取り繕う必要があると考えてしまうのです。

思想や思考に一貫性が無く言葉に自信が持てないから次から次へと言葉を取って付ける。
だから、言葉数ばかり増えて中身は益々、解り辛くなります 。

国会での答弁でも同様です。必要以上に、ごじゃあますと丁寧語を口にする。丁寧語で厳しい質問から逃れることが出来るなんて考えていないだろうが、奴には、それくらいの対策しか打つ手がないのだろう。

日本語は、複雑だから補足の説明が必要な時もある。ところが、補足の説明が適切でないと、益々解り辛くなり、補足でなく誤魔化しと化してしまう。

だから、ごじゃあます総理の答弁も談話も、ただただ、長くなるばかりである。
複雑な日本語は、取り繕えば取り繕うほど、意味不明になり、中身が伝わりません。

そういう日本語さえ十分に使えないレベルの安倍です。 談話の本髄を自分でも理解出来ていません。 取り敢えず、入れないと煩いから、侵略やお詫びの言葉を入れただけ!

口先で何とでも誤魔化せるという本心が透けていては、殆ど評価に値しないでしょう!

いつまでお詫びをしなければならないのかという意見もあるが、民族間では、何千年も憎しみ合う民族もいます。

自分がした戦争じゃないから自分には責任が無い? 親や先祖がした事は知らないで通るなら、歴史は要りません。

国としては、過去に対する責任は永遠に消えません。 これは互いに言える事です。 過ちは過ちとして認めた上で、正しく認識し合うべきでしょう!

真実は真実として、事実は事実として認めた上での事です。