ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

”メタセコイア”に恋をしたかも!

2015年09月23日 | 日記
 

 先の琵琶湖周遊ツーリングで訪れた「メタセコイア並木」が気掛かりと成った。
 私の一方的な誤解ではあったが、地名と樹名である。
 私は”滋賀県高島市マキノ町メタセコイアにある並木道”との理解であった。 少なくとも帰宅するまでは・・
 何故!この様な誤解を抱いたのであろうか?
 マキノと言う地名が惑わせる要因であったこと、そして、樹名に見識が無かったこと、と言い訳をさせて下さい。
 「カタカナ表示の地名が多い処」という手前勝手な誤認識をしていたのである。
 同行のMU氏に「何でこんな名(地名)なんだろう?」と疑問も無く会話した記憶がある。
 事実を知って”赤面”である。
 メタセコイアは原産地が中国で、和名・アケボノスギ。
 アメリカ原産で樹高が100m近くまで成長する「セコイア」の変形=メタで、メタ・セコイアとなったらしい事がわかった。
 誤解を改め”滋賀県高島市マキノ町にある樹名・メタセコイアの並木路”と理解する事が出来た。
 では、何故!この地にこれ程の並木路となったか?についての、次なる疑問がうまれた。
 以下、「高島市観光情報」「マキノ高原観光株式会社」のホームページの一部を引用させて頂く。
 昭和39年・開発(農産品土地改良)に着手し、昭和50年には、4万本を有する栗園(マキノ町果樹生産組合)に成長する。
 しかし、この年(昭和50年)大型台風の襲来で、3万本が被害に見舞われた。
 そして”ポプラ並木の防風林も、根こそぎ被害に遭う歴史があった。
 場面が代わって、琵琶湖の歴史に関する調査で、400~189万年前に堆積した古代琵琶湖層から”メタセコイアの葉や球果(球果=原文のまま)”の化石が出土した。
 琵琶湖とメタセコイアの関連性も明らかとなり、成長が早く、根も深く・大きく成長する”メタセコイア」を植樹(町道)することとなった様である。
 昭和56年「マキノ・土に学ぶ里」整備事業で、距離2Kmに400本の苗木を間隔を広めにとって植樹する。
 平成3年に至って、500mに100本を延伸させた、とある。
 恥ずかしい・思い違いや誤解から調べるうちに、この日記・大きく発展するのである。
 愛媛県伊予市の「市の木」が”メタセコイア”であることが、Netで調べるうちに判明した。
 因みに、滋賀県高島市の「市の木」はサクラ。 マキノ町の「町の木」はソメイヨシノ。
 メタセコイアを”市や県の木”に指定しているのは、この伊予市のみの様である。
 伊予市にも、マキノ町を凌ぐ”メタセコイア並木”が存在するのだろうか? そして「市の木」に込めた思いは何だろう・・?
 連休中で気が揉める。
 続く!!
 今日の絵日記の絵(写真)は、私に恋心を抱かせた?滋賀県高島市マキノ町のメタセコイア並木とします。
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海津大崎の桜について調べました

2015年09月23日 | 日記
 先に訪問した滋賀県高島市・長浜市に跨る、琵琶湖湖岸”海津大崎”の桜並木について調べてみました。
 日本・桜の名所100選に選ばれる”桜並木”である。
 何年前だろう? ライト・アップされた”枝垂桜の映像が印象的で脳裏に残った。
 Netで検索を試みた。
 ”畑の枝垂桜”という表記があった。
 何でも、茶畑に囲まれた、樹齢400年の”しだれ桜”であるという。
 ”さくらの花のトンネル”を期待する傾向があるが、単独にして、これ程の迫力を誇示するのは”400年”という歴史からであろうか・・・?
 この事がキッカケで「滋賀県・桜の名所」について調べてみた。
 20ヶ所程の”桜の名所”がある事がわかった。
 記憶に残る画像に「琵琶湖湖畔の数キロ(*)に亘る・桜のトンネル」との”添え言葉”があった。 (*):表記されていた距離数を忘れた。
 桜の開花時期になると、思い出すのである。 「行きたい!行ってみたい!」と・・・
 開花時期の交通事情を知るにつけ「葉桜だけでも(観てみたい)!」と、五年ほど前から思いは募るばかりであった。
 
 海津大崎は(滋賀県)県道 西浅井・マキノ線(557号線)の沿線にある。
 琵琶湖湖畔に沿って、約4Km”800本のソメイヨシノ(琵琶湖高島観光Naviによる)”の桜並木である。
 歴史を少し溯ってみる(桜並木としての歴史を調べる)。
 1990年に「日本さくら名所100選」にも選ばれた様である。
 それには、1931年頃から植樹されてきた歴史から始まる。
 以下「高島市観光情報」&「琵琶湖高島観光Navi」の記述を参考にし、一部転用する。
 滋賀県高島地方事務所に勤務する道路補修作業員・宗戸 清七氏(当時37歳)が「愛着ある道路に何か残したい」想いから、道路補修作業の合間を活用し、自費で桜の(苗木)植樹を始めた事が、桜の名所に成長する発端となった。
 植樹を始めて五年後(1936年)に「大崎トンネル」が開通する。
 この開通を記念して、海津村(現 高島市マキノ町)が、植樹を推進したという歴史があることが判った。
 ある人の”志し”が発端となって、100選に選定されるまでに成長した”ありさま”を観て、ある人・宗戸さんは、どの様な想いだろうか・・・ 
 志しを実行し始めて、85年を迎えようとしている。
 
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