先の琵琶湖周遊ツーリングで訪れた「メタセコイア並木」が気掛かりと成った。
私の一方的な誤解ではあったが、地名と樹名である。
私は”滋賀県高島市マキノ町メタセコイアにある並木道”との理解であった。 少なくとも帰宅するまでは・・
何故!この様な誤解を抱いたのであろうか?
マキノと言う地名が惑わせる要因であったこと、そして、樹名に見識が無かったこと、と言い訳をさせて下さい。
「カタカナ表示の地名が多い処」という手前勝手な誤認識をしていたのである。
同行のMU氏に「何でこんな名(地名)なんだろう?」と疑問も無く会話した記憶がある。
事実を知って”赤面”である。
メタセコイアは原産地が中国で、和名・アケボノスギ。
アメリカ原産で樹高が100m近くまで成長する「セコイア」の変形=メタで、メタ・セコイアとなったらしい事がわかった。
誤解を改め”滋賀県高島市マキノ町にある樹名・メタセコイアの並木路”と理解する事が出来た。
では、何故!この地にこれ程の並木路となったか?についての、次なる疑問がうまれた。
以下、「高島市観光情報」「マキノ高原観光株式会社」のホームページの一部を引用させて頂く。
昭和39年・開発(農産品土地改良)に着手し、昭和50年には、4万本を有する栗園(マキノ町果樹生産組合)に成長する。
しかし、この年(昭和50年)大型台風の襲来で、3万本が被害に見舞われた。
そして”ポプラ並木の防風林も、根こそぎ被害に遭う歴史があった。
場面が代わって、琵琶湖の歴史に関する調査で、400~189万年前に堆積した古代琵琶湖層から”メタセコイアの葉や球果(球果=原文のまま)”の化石が出土した。
琵琶湖とメタセコイアの関連性も明らかとなり、成長が早く、根も深く・大きく成長する”メタセコイア」を植樹(町道)することとなった様である。
昭和56年「マキノ・土に学ぶ里」整備事業で、距離2Kmに400本の苗木を間隔を広めにとって植樹する。
平成3年に至って、500mに100本を延伸させた、とある。
恥ずかしい・思い違いや誤解から調べるうちに、この日記・大きく発展するのである。
愛媛県伊予市の「市の木」が”メタセコイア”であることが、Netで調べるうちに判明した。
因みに、滋賀県高島市の「市の木」はサクラ。 マキノ町の「町の木」はソメイヨシノ。
メタセコイアを”市や県の木”に指定しているのは、この伊予市のみの様である。
伊予市にも、マキノ町を凌ぐ”メタセコイア並木”が存在するのだろうか? そして「市の木」に込めた思いは何だろう・・?
連休中で気が揉める。
続く!!
今日の絵日記の絵(写真)は、私に恋心を抱かせた?滋賀県高島市マキノ町のメタセコイア並木とします。