<2019.08.17>
先15日は74回目の終戦記念日でした。
戦中生まれ、戦後育ちの私にとっては、時代の大きな変化を体験したことになります。
終戦の年、私は国民学校(今の小学校)の1年生でした。
玉音の日は8月、今で考えれば夏休みのはずなんですが、記憶では近くの森の中にある神社で疎開授業がされていたようです。(夏休みどころではなかったんでは・・・)
直接玉音放送を聞いた記憶はありませんが、「日本が戦争に負けた」という事は、当日誰からか聞いた気がします。
終戦も間直だったこの時期、子供心に何となく怖かった記憶がありますね。
それは、白い服に肩章を付けた巡査(警官)さんが時々サーベル(刀のさや)をさげて、家を時おり尋ねてくることでした。
おふくろからは、「お上や戦争の陰口を言うと巡査さんが来るよ・・・・」と、良く言われてました。
『1億総・・・・』の時代でしたので、今でいう言論統制が大変厳しかったようです。
こうした背景の中、8月15日、この日を境に大きく変わっていったわけですが、学校も『国民学校』から『小学校』と名前が変わってきました。
また教科書なども、1年生の時には、カラーの教科書だったと思いますが、終戦の翌年の2年生からは白黒の、それもガリ版刷りの教科書となりましたね。
このように、ここから戦後の大変な窮乏生活が始まっていったわけです。
ただ、社会は『軍国主義』から大きく変化して、『民主主義』『民主主義』と叫ばれる様になりました。
従って、私は物心ついてから現在までのほとんどの人生を、『民主主義』の社会の中で過ごしてきたことになります。
振り返って、サーベルをさげたあの巡査さんに、おびえることもなく、言いたいことを自由に言い、したいことを自由に過ごせた戦後の『民主主義』を甘受できたことを、本当に幸せに感じているところです。
この『自由と民主主義』の世の中が、永遠に続く事を願ってやみません。
終戦記念日にあたり想いを綴って見ました。
<この暑さ・・・・ケイトーも萎え気味>
<こちら百日紅満開・・・・我が家の庭>
<台風一過・・・・早朝の空>