<2008.7.28>
ラジオを子供の時からよく聞いていたということは、以前にも書いた。
私がラジオを好きな理由は、良く聞いていたということもあるが、ながら族を満喫できることが大きい。
高校時代は良く深夜放送を聞きながらテストの勉強をしていた。
勿論テレビがなかったので、これしかなかった訳であるが、今振り返ってみてテレビを見ながら勉強ができたかというと、これは無理であっただろうということは容易に想像がつく。
一般的に言われている耳と眼の情報量の差が、ながら族ができるか、出来ないかの分かれ道となるのであろう。
耳だけだとほかのことにも結構集中できるが、眼からの情報になるとそうはいかないということである思う。
ただ一方では、耳情報だけでも自分にとって非常に大事な情報が入ってきた時には、ながら族も中断とならざるを得ないわけである。
こう考えてみると一概に、耳・眼情報と決めつける訳にはいかないかも知れない。
要は自分にとって、その瞬間瞬間の情報の何が一番重要かを無意識のうちに選別しており、この選別のしやすさが、ラジオの時は多くテレビの時は少ないだけかも知れない。

<雲仙岳の遠景・・・・好きな風景の一つ>
ラジオを子供の時からよく聞いていたということは、以前にも書いた。
私がラジオを好きな理由は、良く聞いていたということもあるが、ながら族を満喫できることが大きい。
高校時代は良く深夜放送を聞きながらテストの勉強をしていた。
勿論テレビがなかったので、これしかなかった訳であるが、今振り返ってみてテレビを見ながら勉強ができたかというと、これは無理であっただろうということは容易に想像がつく。
一般的に言われている耳と眼の情報量の差が、ながら族ができるか、出来ないかの分かれ道となるのであろう。
耳だけだとほかのことにも結構集中できるが、眼からの情報になるとそうはいかないということである思う。
ただ一方では、耳情報だけでも自分にとって非常に大事な情報が入ってきた時には、ながら族も中断とならざるを得ないわけである。
こう考えてみると一概に、耳・眼情報と決めつける訳にはいかないかも知れない。
要は自分にとって、その瞬間瞬間の情報の何が一番重要かを無意識のうちに選別しており、この選別のしやすさが、ラジオの時は多くテレビの時は少ないだけかも知れない。

<雲仙岳の遠景・・・・好きな風景の一つ>