出自知る権利、対応は現場任せ 母子の孤立や貧困…「赤ちゃんポスト」開設10年
こどもが成長していくと、自身の誕生のことを知りたくなるだろう。
高校に入学するための戸籍謄本なるものに、初めてお目にかかった頃、何も聞かなかったのに、
「間違いないでしょ」と突然言われた記憶がある。
謄本には生まれた日やどこで生まれたのか、届け出たのは誰だったかが、わかるようになっている。
母の父と母の名字が違っていた。
入籍してくれなかったと聞かされた。
両親の住所は、神奈川県になっていて、その後、昭島市民となったそう。
何故住所が変わったのか、引っ越した?のかと思った。
多摩の歴史の一部として、神奈川県民から東京都民にかわったことを知った。
西のはずれの三多摩地区。
東京都区内とはいろいろな面で、違っている。
区内ではなく東京都下というということも知った。
そんな歴史を知り、戸籍謄本の記述の変化を知り、そういうものなんだと漠然と感じた。
両親がいなければ、誕生することはない。
生まれれ来たときから、成長していく中で、環境が変わることがある。
両親が離婚したりすると、こどもの名字が変わる。
同じ人なのに、結婚しても名字が変わる場合もある。
ほとんどの男女が結婚すると、9割くらいは男の名字を名乗る。
女の名字を名乗ると、養子に行ったと、勝手に思われる。
女は、ほとんどの人が結婚すると名字が変わることを当然と考える。
名字が変わることの、様々な届けと、生活の変化。
それは体験して初めて「こんなことだったと、知ることになる」
出自も、周りの誰もが知らないこともある。
知っていて当然と、知っている者は思う。
知らなかったものは、当然、知りたいと思うだろう。
自分の原点なのだから。
誰もが泡から生まれてきたのではないのだから。