さて、東塔の駐車場から根本中堂の方へ向かいます。
早朝のため、駐車場にとまっている車は、皆無ではありませんが、ほとんどありません。
東塔、西塔、横川の3カ所の境内の拝観は共通チケットを購入する必要があるのですが、窓口がまだ開いていないため、そのまま入場しまする早朝拝観等の場合はチケットはあとで購入してくださいとの但し書きの紙が貼ってあったりします。これ、そのまま早朝だけで帰れば無料やね・・、などとせこいことを考えていました。
以前に訪ねた時にもありましたが、根本中堂、講堂の方へ向かう道などには紙芝居風の立て札が何枚もあります。最澄の生涯を描いたものです。他にも、いわゆる鎌倉新仏教の開祖たちはみんな比叡山で修行をしていますので、こうした人たちの紙芝居風立て札も他の場所にあったりしました。法然、親鸞、日蓮、栄西など、まあ、比叡山が日本の仏教のふるさとといわれるのもなるほどという感じです。
講堂へ向かう道の途中、木々の間から朝日が差し込みます。観光地化しているとはいえ、人がほとんどないこの道を歩いていると、やはりここが何か宗教的な特別な空間であるとの思いがわき上がってくる感じがします。
講堂の前には龍の口から水が出ている手洗い場がありました。そういえば、20年以上前に来た時にもこれはあったな。写真が残っています。当時もカラー写真はありましたが、コダックのモノクロのフィルムを入れて、わざとモノクロで撮った写真がありました。
早朝のため、駐車場にとまっている車は、皆無ではありませんが、ほとんどありません。
東塔、西塔、横川の3カ所の境内の拝観は共通チケットを購入する必要があるのですが、窓口がまだ開いていないため、そのまま入場しまする早朝拝観等の場合はチケットはあとで購入してくださいとの但し書きの紙が貼ってあったりします。これ、そのまま早朝だけで帰れば無料やね・・、などとせこいことを考えていました。
以前に訪ねた時にもありましたが、根本中堂、講堂の方へ向かう道などには紙芝居風の立て札が何枚もあります。最澄の生涯を描いたものです。他にも、いわゆる鎌倉新仏教の開祖たちはみんな比叡山で修行をしていますので、こうした人たちの紙芝居風立て札も他の場所にあったりしました。法然、親鸞、日蓮、栄西など、まあ、比叡山が日本の仏教のふるさとといわれるのもなるほどという感じです。
講堂へ向かう道の途中、木々の間から朝日が差し込みます。観光地化しているとはいえ、人がほとんどないこの道を歩いていると、やはりここが何か宗教的な特別な空間であるとの思いがわき上がってくる感じがします。
講堂の前には龍の口から水が出ている手洗い場がありました。そういえば、20年以上前に来た時にもこれはあったな。写真が残っています。当時もカラー写真はありましたが、コダックのモノクロのフィルムを入れて、わざとモノクロで撮った写真がありました。
