「億の近道」というのは株式投資関係のメールマガジンです。
まあ、ウェブでも見られるので、メールとして読まなくてもいいんですが。
最近の山本潤氏の原稿はなかなか興味深いものでした。
「グローバル企業から「選ばれる国」となるように諸外国と競争する道」
「もうひとつの道は、企業のためのプラットフォーム競争ではなく、国民のため
の企業への規制」
二者択一でない妥協点というのは?。
昨今の「派遣切り」云々のニュース等の中で感じることは、企業としては資本の論理の中でこういう時のためにこそ、派遣の制度を現在のような形になるように様々なことをしてきたわけで、そのため(都合のいい時には使って、都合が悪くなったら切る)にこそこの制度があるんであり、企業に文句を言ったところで、それは本質的にはやはり無理があるだろうということ。
と同時に、日本は根本的なところで、働く人の権利意識みたいなのがきちんと根付いていない。制度そのものの不備とか弱さというのもさることながら、なんというか、そういう「権利」を自分たち自身で勝ち取ってきた経験というのが薄いので、意識の根底のところにそういうものが根付いていないのではないかということです。そこがヨーロッパの国なんかとはかなり深いところで違っているのではないか?。
それは日々の生活がもっと豊かで便利で、できればいろんな贅沢もできればそれに越したことはありません。経済はそういう「欲求」とか「欲望」をエネルギーにして発展とていくところはあるし、だからこそ様々な技術革新なんかも進むんでしょう。
が、別にそんなに「成長」を追い求めなくても、安心して、気持ちの面でもゆったりとして、暮らしていければ、それでいいのではないか。
矛盾するようですが、私自身が株式(だけじゃないけど)投資をしているのは、この後者のことを目的にしているところがあります。株式投資をするのは、預貯金なんかより有利な運用となることをめざしているわけです。つまりは「金儲け」の手段です。
無論、損するかもしれんから儲かる可能性もあるわけですが。この「儲け」と「損」は表裏の関係ですが、まあ、自分なりに工夫すれば、それなりにコントロールすることは可能です。自分の場合は全体として見れば「儲かった分以内でしか再投資していない」と言う形になっているので、レバレッジをかけて大儲け、大損(破綻)となるような形の運用とは全く異なっています。
で、この「金儲け」の本質的な目標はというと「時間を稼ぐ」ことにあります。なるべく早く「安心して、気持ちの面でもゆったりとして、暮らしていける」ようになる、そのための経済的な裏付けをしっかりとしたものにすることが目標なわけです。
まあ、日々の売買は「楽しみ」としての部分が大きいのですが、本質としてはこういうことです。
なので、逆に言えば、株が下がろうがデフレになろうが、手持ちの金融資産が減少しようが、この目的そのものが早期に達せられればそれでかまわないわけです。
さて「ちょうどよい妥協点」というのはどこにあるんでしょうか。はっきりとした「正解」というのは見つかりそうにもないですが・・・。
まあ、ウェブでも見られるので、メールとして読まなくてもいいんですが。
最近の山本潤氏の原稿はなかなか興味深いものでした。
「グローバル企業から「選ばれる国」となるように諸外国と競争する道」
「もうひとつの道は、企業のためのプラットフォーム競争ではなく、国民のため
の企業への規制」
二者択一でない妥協点というのは?。
昨今の「派遣切り」云々のニュース等の中で感じることは、企業としては資本の論理の中でこういう時のためにこそ、派遣の制度を現在のような形になるように様々なことをしてきたわけで、そのため(都合のいい時には使って、都合が悪くなったら切る)にこそこの制度があるんであり、企業に文句を言ったところで、それは本質的にはやはり無理があるだろうということ。
と同時に、日本は根本的なところで、働く人の権利意識みたいなのがきちんと根付いていない。制度そのものの不備とか弱さというのもさることながら、なんというか、そういう「権利」を自分たち自身で勝ち取ってきた経験というのが薄いので、意識の根底のところにそういうものが根付いていないのではないかということです。そこがヨーロッパの国なんかとはかなり深いところで違っているのではないか?。
それは日々の生活がもっと豊かで便利で、できればいろんな贅沢もできればそれに越したことはありません。経済はそういう「欲求」とか「欲望」をエネルギーにして発展とていくところはあるし、だからこそ様々な技術革新なんかも進むんでしょう。
が、別にそんなに「成長」を追い求めなくても、安心して、気持ちの面でもゆったりとして、暮らしていければ、それでいいのではないか。
矛盾するようですが、私自身が株式(だけじゃないけど)投資をしているのは、この後者のことを目的にしているところがあります。株式投資をするのは、預貯金なんかより有利な運用となることをめざしているわけです。つまりは「金儲け」の手段です。
無論、損するかもしれんから儲かる可能性もあるわけですが。この「儲け」と「損」は表裏の関係ですが、まあ、自分なりに工夫すれば、それなりにコントロールすることは可能です。自分の場合は全体として見れば「儲かった分以内でしか再投資していない」と言う形になっているので、レバレッジをかけて大儲け、大損(破綻)となるような形の運用とは全く異なっています。
で、この「金儲け」の本質的な目標はというと「時間を稼ぐ」ことにあります。なるべく早く「安心して、気持ちの面でもゆったりとして、暮らしていける」ようになる、そのための経済的な裏付けをしっかりとしたものにすることが目標なわけです。
まあ、日々の売買は「楽しみ」としての部分が大きいのですが、本質としてはこういうことです。
なので、逆に言えば、株が下がろうがデフレになろうが、手持ちの金融資産が減少しようが、この目的そのものが早期に達せられればそれでかまわないわけです。
さて「ちょうどよい妥協点」というのはどこにあるんでしょうか。はっきりとした「正解」というのは見つかりそうにもないですが・・・。