ことのほか暑い今年の夏、61回目の終戦(敗戦)記念日がやってきます。
靖国参拝が政治問題化する中、天皇のお言葉メモ、極東裁判の是非、
A級戦犯分祀論などが議論されていますが、入り口はどうあれ
私たちは「この戦争の開戦(敗戦)の責任はどこにあったのか」
に行き着かねば、不戦の誓いにならないと思います。
2000年ドルッパ機材展視察のついでに寄った
ミュンヘン郊外のダッハウ強制収容所跡で行われていた
デスカッションを思い出します。
施設跡を見学しながらドイツ高校生が野外実習をしていました。
テーマは『なぜナチスドイツが台頭したのか』。
ヒトラーが悪い、ナチスの宣伝がうまい、ということで片付けず、
「国民はなぜナチス・ヒトラーを支持してしまったのか?」
と本質に迫って議論していました。
日本でも天皇制の限界、軍部の独走、議会制民主主義の形骸化
などにより戦争への道を歩んだと思いますが、
なぜそのようになったか、仕組みと、国民の意識に目をむけ、
「何故こんなことがおきたのか」に目を向けなければ、
歴史は再び危険な道を歩みかねない。
現象を通して、本質に目を向けるべきである
靖国参拝が政治問題化する中、天皇のお言葉メモ、極東裁判の是非、
A級戦犯分祀論などが議論されていますが、入り口はどうあれ
私たちは「この戦争の開戦(敗戦)の責任はどこにあったのか」
に行き着かねば、不戦の誓いにならないと思います。
2000年ドルッパ機材展視察のついでに寄った
ミュンヘン郊外のダッハウ強制収容所跡で行われていた
デスカッションを思い出します。
施設跡を見学しながらドイツ高校生が野外実習をしていました。
テーマは『なぜナチスドイツが台頭したのか』。
ヒトラーが悪い、ナチスの宣伝がうまい、ということで片付けず、
「国民はなぜナチス・ヒトラーを支持してしまったのか?」
と本質に迫って議論していました。
日本でも天皇制の限界、軍部の独走、議会制民主主義の形骸化
などにより戦争への道を歩んだと思いますが、
なぜそのようになったか、仕組みと、国民の意識に目をむけ、
「何故こんなことがおきたのか」に目を向けなければ、
歴史は再び危険な道を歩みかねない。
現象を通して、本質に目を向けるべきである