井伊直弼の出身地彦根城に行った。
水郷近江平野にひときわ高くそびえるお城だ。
天守閣は三層でさほど大きくは無いが、そこまでたどり着くにはかなりの坂を上
がらねばならぬ。
長い石段天主への道天秤櫓
殿様はどのあたりに住んでいたのだろうか?これでは家来が天守閣でお目通りするときは、きっと息が切れていただろう。これはコンクリートではなく、漆喰で固められ、天守
閣の中は曲がった梁で支えられている。国宝である。
近江平野
直弼は此処で近江平野と琵琶湖を見ながら、既に開国の腹を固めていたのだろうか。
信長の安土城、秀吉の長浜城とこの地は東海道、北陸、伊勢、から京都を結ぶ要
害の地だったのだろう。
黒門からの堀
堀は大きく、途中二期桜(四季桜かと見たら、水戸から送られた「二期桜」と表
示があった。)が小さな花をつけていた。古武士の城にふさわしい、質素な花である。
「彦にゃん」というゆるきゃらがお出ましになったのがご愛嬌であった。
水郷近江平野にひときわ高くそびえるお城だ。
天守閣は三層でさほど大きくは無いが、そこまでたどり着くにはかなりの坂を上
がらねばならぬ。
長い石段天主への道天秤櫓
殿様はどのあたりに住んでいたのだろうか?これでは家来が天守閣でお目通りするときは、きっと息が切れていただろう。これはコンクリートではなく、漆喰で固められ、天守
閣の中は曲がった梁で支えられている。国宝である。
近江平野
直弼は此処で近江平野と琵琶湖を見ながら、既に開国の腹を固めていたのだろうか。
信長の安土城、秀吉の長浜城とこの地は東海道、北陸、伊勢、から京都を結ぶ要
害の地だったのだろう。
黒門からの堀
堀は大きく、途中二期桜(四季桜かと見たら、水戸から送られた「二期桜」と表
示があった。)が小さな花をつけていた。古武士の城にふさわしい、質素な花である。
「彦にゃん」というゆるきゃらがお出ましになったのがご愛嬌であった。