松本城の北にある開智学校へもいってきた。


明治六年にできたこの学校は、県権令(県知事)永山盛輝が国の基礎は人材によっ
て作られるとの信念で作った学校である。もともと松本は江戸時代から寺子屋の
普及率の高いところだったが、永山の熱意で建設資金を22円(当時権令の給与
が20円)も協力する人が現れたほどだという。
また開智学校は進学校として名高い現在の松本深志高校の前身でもある。教育県として
の長野県の中心的な存在ではなかろうか。
特徴的な八角の塔が中央にある建物で、日本の大工立石清重が設計したのとは思
えない。この頃のこの地区の教育に対する熱意がしのばれる。

実際の建物は彫刻が多く飾ってあり、廊下は広めである。教室には天板の机に石
版などが置いてあった。小学校一年生の頃使った覚えがある。日本全国の木造洋
風建築の系譜とか、検定教科書の歴史とか展示品も興味深い。




明治六年にできたこの学校は、県権令(県知事)永山盛輝が国の基礎は人材によっ
て作られるとの信念で作った学校である。もともと松本は江戸時代から寺子屋の
普及率の高いところだったが、永山の熱意で建設資金を22円(当時権令の給与
が20円)も協力する人が現れたほどだという。
また開智学校は進学校として名高い現在の松本深志高校の前身でもある。教育県として
の長野県の中心的な存在ではなかろうか。
特徴的な八角の塔が中央にある建物で、日本の大工立石清重が設計したのとは思
えない。この頃のこの地区の教育に対する熱意がしのばれる。

実際の建物は彫刻が多く飾ってあり、廊下は広めである。教室には天板の机に石
版などが置いてあった。小学校一年生の頃使った覚えがある。日本全国の木造洋
風建築の系譜とか、検定教科書の歴史とか展示品も興味深い。

