九州主要都市ではでは路面電車が活躍している
坂というより石段の連続する道
社中跡の建物
先月のことだが、九州に行く機会があり、長崎に足を伸ばしてきた。
出島、平和記念公園、軍艦島などに行きたかったからである。しかしせっかく来たからには龍馬の足あとも辿ってみたいと思い、日本初の商社「亀山社中」跡を訪ねた。
路面電車で最寄りの駅を降り、写真術の元祖上野彦馬記念碑(カメラのモニュメントと共に、竜馬と同じポーズで撮れるようにセッティングされている)の前を通って、社中跡に向かったが、ここからの上り坂がきつかった。坂につぐ坂、石段の連続で、よくこんなところに事務所を設けたものだと不思議に思った。細く曲がった坂道を喘ぎ喘ぎ登った。
メインの座敷
開放された縁側
山の中腹にあるその建物は思ったよりこじんまりとしたもので、見晴らしはよく、秘密結社の感じはしなかった。「何故こんな上に設置したのかという問いに係の人は 1,ここから奉行所が見える 2,長崎港が見える 3,メンバーには脱藩者が多く公然の会合は憚られたと答えた。
開け放たれたガラス障子に、世界に羽ばたこうという龍馬の気概と浩然の気を感じた。唯一それらしかったのは、隠し部屋かもしれないと説明された、梯子で上下した中2階である。
社中跡からさらに風頭公園に立つ竜馬像を見に20分ほど坂を登った。公園のてっぺんに建つ竜馬像は遠く港を見つめて、迫力があった。桂浜の竜馬像より迫るものがあった。
更に続く坂道
竜馬像
公園からは石段を下り、寺町上の墓地を通り、寺院の前を過ぎてめがね橋へ出た。この斜面一帯は広大な墓地になっており、黒御影石に金地で刻印された墓石が並んでいる。
めがね橋の架かる中島川は先年の長崎水害の折りは氾濫し、護岸の石垣も壊れたという。
墓地も斜面に広がる
中島川とめがね橋
坂というより石段の連続する道
社中跡の建物
先月のことだが、九州に行く機会があり、長崎に足を伸ばしてきた。
出島、平和記念公園、軍艦島などに行きたかったからである。しかしせっかく来たからには龍馬の足あとも辿ってみたいと思い、日本初の商社「亀山社中」跡を訪ねた。
路面電車で最寄りの駅を降り、写真術の元祖上野彦馬記念碑(カメラのモニュメントと共に、竜馬と同じポーズで撮れるようにセッティングされている)の前を通って、社中跡に向かったが、ここからの上り坂がきつかった。坂につぐ坂、石段の連続で、よくこんなところに事務所を設けたものだと不思議に思った。細く曲がった坂道を喘ぎ喘ぎ登った。
メインの座敷
開放された縁側
山の中腹にあるその建物は思ったよりこじんまりとしたもので、見晴らしはよく、秘密結社の感じはしなかった。「何故こんな上に設置したのかという問いに係の人は 1,ここから奉行所が見える 2,長崎港が見える 3,メンバーには脱藩者が多く公然の会合は憚られたと答えた。
開け放たれたガラス障子に、世界に羽ばたこうという龍馬の気概と浩然の気を感じた。唯一それらしかったのは、隠し部屋かもしれないと説明された、梯子で上下した中2階である。
社中跡からさらに風頭公園に立つ竜馬像を見に20分ほど坂を登った。公園のてっぺんに建つ竜馬像は遠く港を見つめて、迫力があった。桂浜の竜馬像より迫るものがあった。
更に続く坂道
竜馬像
公園からは石段を下り、寺町上の墓地を通り、寺院の前を過ぎてめがね橋へ出た。この斜面一帯は広大な墓地になっており、黒御影石に金地で刻印された墓石が並んでいる。
めがね橋の架かる中島川は先年の長崎水害の折りは氾濫し、護岸の石垣も壊れたという。
墓地も斜面に広がる
中島川とめがね橋