フォード社製4WD、
ハワイ島3日目。昨日申し込んでいたマウナケア天文台ツアーは、残念ながら満席だとのこと。ならば自力でいけるように、レンタカーを4WDと交換しがてら、海に行く。コナの町の少し南、カハルー海岸へ。
小さな砂浜だ。日曜日のせいか結構な人出だ。駐車場も、ベンチも、シャワーも完備している。しかも無料である。何かイベントがあるのか、海辺の岩の傍の海中にに大勢の人だかり。早速我々も着替えて海中へ。息子が用意してくれたシュノーケルセット持参だ。ゆるやかな溶岩台地(富士山の裾野より更に緩やか)が海中に延びているせいか、海はとても遠浅の岩で覆われている。
ライフガードが2名真面目に見張っていた
眼鏡を水につけてみてびっくり、まだ十分足が底につく浅い水中に、なんと魚が群れている。水中カメラを持ってきた息子が何かと世話を焼いてくれる。ブダイやチョウチョウウオ、ハコフグ、エンゼルフィッシュ、その他名前も知らない色々な魚が悠々と泳いでいる。これならシュノーケリングは楽しいはずだと、夢中で魚を追いかけた。知らずに1時間ほど潜っていたので、体が冷えてしまったほどである。シャワーを浴び乾いた服に着替える。息子たちは第二ラウンドを楽しみに又海に入った。ライフガードの人たちが、見張り台から降りる頃ようやく海から上がってきた。先ほどの人ごみは、こんなに近くに、色々な熱帯魚が泳いでいるのを見ていたのだ。豊かな自然である。
コナの町並、と大きな木
帰りにはコナの街をちょっと見学して行く。小ワイキキのような町並ができ、大きな木が道路脇に生えている。観光客が多い。さすがに少々疲れたので、本日の天文台行きは明日に回し、一本道を帰る。帰りにABCマートで、肉,サケ、マグロのマリネ、炭酸、ウイスキー、モッツアレラチーズ、小エビのカクテル、などを買い込み、今夜も豪華な晩餐となった。
晩餐の一部
バンズに色々挟み、大口開けてかぶりつく
あっという間にウイスキーがなくなった。(買い足した)
昨日の豪華ディナー
ハワイ島2日目。このコンドミニアムの敷地には猫が多い。息子が初めて来た時にはほとんどいなかったのだというが、朝ぼーっとゴルフ場を眺めていたら、3匹も目の前を横切った。
それはさて置き、スーパーで懐中電灯を(火山見物用に)仕入れ、11時頃出発。空港脇を通り一路南へ。
こんな道路がハワイ島には走っている
購入したターキードッグ(でっかい、長さ40cmはある)
三菱製風力発電機
牛も馬も牧場にのんびり
風の影響で流される枝
ひたすらまっすぐな道路が続く。豆粒くらいかと思っていたら、この島は四国の半分位あるそうだ。120マイル(180km)位走り、途中のスーパーで一休み。長さ40cmはあろうかという、サンドイッチ(ターキードッグ)を昼飯用に仕入れる。ハワイ島(アメリカ)の最南端サウスポイントへ向かう。野原の中、風力発電機(三菱製)が数十本も立つ間を抜け、牧場の中を海へと向かう。発電機は何故か廃棄されており、生きているのはわずか一列14本のみである。遮るものもなく、風邪も強いこの場所は風力発電にはもってこいだと思うのだが、止まってしまった風車にはサビが浮いていた。背の低い潅木も枝を風に流されて育ち、ここが風の強いところだと証明している。
サウスポイント風景
最南端の海岸は、10mくらいの断崖が切り立っている。船を上げるウインチがあるだけで、最南端の標識はないが、若者が釣りをしたり、侵食された岩穴に飛び込んだりして遊んでいる。海の色が真っ青で、白波が立っている。定かではないが一瞬クジラが潮を吹いているような光景を見た。潮風に吹かれ真っ青な海を見ながら、3人で一本のターキードッグを頬張った。が、食べきれない。そこから更に30マイル走ってキラウエア火山国立公園へ。
ジャガー・ミュージアム表示
火口から上がる噴煙
ミュージアムにおいてある振動計(実際に測定している)
噴火を報道している新聞(ジャガー・ミュージアム)
ゲートで入場料をとられる。一台10$、7日間有効だという。なんとも大雑把だ。しばらく走るとあちこちで水蒸気が上がっている。硫黄の匂いはしないし植物も普通に生えている。地獄谷に木が茂っているようなものだ。しばらく走ってトーマス・ジャガー・ミュージアムに着く。大きな火口が目の前に噴煙を上げている。しかし静かである。想像していた、溶岩を噴き出している活発な活動はなかった。この博物館の映像では躍動していたが・・・。
駐車場
駐車場の端にある侵入制限の表示
溶岩がそのまま固まった平原。ゆるやかな斜面を下りてきている。
まあ大した感動もなく、そこから、溶岩が海中に落ちると云われる、ビューポイント目指して更に20マイルほど迂回する。息子の情報によると道が行き止まりになっていて、警備員が駐車場で整理をしているはずだという。少し間違って遠回りをしたが、それらしきところについた。車を置いてしばらく歩くと、一面溶岩流の固まった岩原に出た。だが近くの海中から水蒸気は上がっていない。説明員らしき男女がロープで囲われた中に、座っている。
無駄足だったかと諦めかけたところ,陽が落ち暗くなり始めた。すると遠くの斜面の噴煙の周りがぼーっと赤くなり始めた。暗くなるのと反比例して、そのあかさは輝きを増し、とうとう真赤な溶岩流が輝きだした。時折、何かが燃えるのか、大きな炎があがる。幻想的である。「地球は生きている」という映画を中学生の頃見たが、地球に生命力を感じた。足下を懐中電灯で照らしながら帰る。見あげれば、星が一杯瞬いていた。
夜空に瞬く溶岩流
帰りは北回りで、ヒロ経由で3時間以上走り続ける。途中ピザ屋で腹ごしらえをして、帰着したのが11時、本日は正味12時間の旅であった。息子が一手に運転してくれるので助かる。
ここはハワイアン航空しか飛んでいない
コナ空港の手荷物扱い所。まるで田舎のバス停だ。
親戚と別れ、オアフ滞在4日目はハワイ島へ。
ここへは今までに4,5遍来ている、長男推奨の島である。海が綺麗で、空が澄んでいて、火山がもの凄い、という。
その言葉に乗って今回ハワイまで来たようなものである。
ホノルルから機械でチェックイン。スーツケース1個15$取られる。30分くらいのハワイアン航空のフライトでコナ空港へ。田舎の大きなバス待合室みたいな空港。それでも2名のフラダンスに迎えられる。日本人がオアフの半分くらいに減る。
荒地の中の一本道
真ん中の小さな塔が空港管制塔
溶岩台地に描かれた(置かれた)サイン(車のスピードが速くて流れてしまっている)
レンタカーを借り、息子の運転でワイコロア・リゾートへ。この島はゆるやかな溶岩台地(裾野)で覆われ、未だ西、南のほうは草や低い潅木しか生えていない荒野である。溶岩原の中の一本道をリゾートへ向かう。
真っ黒な溶岩ニ、白い石で記念のサインを残してゆく人が多いらしい。道の両側にところどころ、サインが出現する。車で30分位何もない平原を走るが、そこを自転車でを漕いでいる人を何人も見かける。さすが欧米人はタフだ。
ワイコロア・リゾートへのアプローチ道路
構内のゴルフ場、せせらぎ
コンドミニアム
借りたコンドミニアムは2ベッドルームの広い部屋で、ゴルフコースの脇にある。我が家より広く、台所も大型冷蔵庫、電子レンジ、食洗機など完備だ。近くにはショッピングセンターもあり便利だ。カナダのジャスパーに初めて逝った時のことを思い出す。豊かな国だと実感する。
ゴルフのプレーを見ながら、ベランダで昼食を取り、夕日を見がてら近くのヒルトンホテルの海岸に散歩にでる。ヒルトンの庭は、仏像などで、日本風(東洋風)な趣を出し、大きな池を抱えた庭には、イルカが泳ぎ、電車や、船が走る、大掛かりなものだ。夕日が落ちる海岸には、水着の家族、恋人たちが沢山いた。
コンドミニアム、リビング
キッチン
メインベッドルームとシャワールーム
サブベッドルームとバスルーム
夜は、豪華ステーキディナー、ムール貝、タコの和え物、などスーパーで買ってきた食材を家内が料理してくれ、よく食べ、よく飲み、よく喋った。明日からの山、海、が楽しみだ。
ベランダのテーブル、何と3組も置いてあった。
ダイニングテーブル
コンドミニアムへのアプローチ
バス乗り場(降り場?)の案内板
ビジターセンター入り口の表示
公園内から観る真珠湾遠景
オアフ島で,行っておきたかったのは、パールハーバーだった。
知人は、あそこは我々にとって決して心地良い所ではないよ、とアドバイスをくれたが、やはり歴史上の地点は体感しておきたい。
遅れて日本からやってきた息子と合流し、ワイキキからバスで1時間以上かけて、現地に向かった。ハート型の湾をぐるっと周り、やっと到着した時は3時になっていた。
バスは記念公園(ビジターセンター)前で終点となり、入ってすぐチケットセンターへ向かう。「チケット買えますか?」と聞いたら、退役軍人みたいな大男が、いきなり「3時までだ、もう過ぎている!」と時計を指すのをみたら、3時6分すぎ、この国はこんなに時間に正確な国か?それとも、日本人と見てこんな態度を取るのか、といきなりムカッときた。何の切符かしらないが、そんならいらないや、と構内を歩き始める。
この湾は入江が入り組んでおり、水深もありそうで、正に天然の良港だ。造船所らしきものもある。戦艦や潜水艦、遠くにアリゾナ記念館の建物もみえる。今も軍港なのか。
近くの資料館の扉をそっと開けてみたら、映画上映中で、そこに滑り込んだ。ニュース映画風に、かなり抑え気味に、「戦前日本は経済制裁に耐え切れず、戦争を仕掛けてきた。日本は宣戦布告をせずに攻撃してきた。戦死者の数2345人、民間人57人。我々はこれを決して忘れない」と。そして続くミッドウエーの海戦以後、戦況を盛り返してゆくさまが続く。公園内のあちこちで、「ここで死んだ人のことを、我々は決して忘れない」という銘板を見た。
同じように「過ちは決して繰り返しません。安らかに眠って下さい」と宣言する広島との違いを感じる。この屈辱を忘れずに「闘うぞ!」とその根源を鼓舞する姿勢と、「馬鹿なことをした、もう二度とやるまい」、と自省する違いなのか。
アリゾナ記念館
海中から顔を出す、戦艦アリゾナの残骸
戦没者の名を刻む壁に向かって
沈められた戦艦を示すブイ
この攻撃は、ルーズベルトの誘導だった、というフーヴァー大統領の談話や、説もあるし、民間人がわずか57名の犠牲というのは、この種の攻撃にはありえないほど、正確に軍事目標のみに限定されていた、などの言い訳はあるが(最近のイラク戦争勃発の時の民間人の被災はこんなに少なかったか)、とにあれ、アメリカは正義だ、という前提の展示であることは間違いない。映画が終わり、アリゾナ記念館へは船で渡る。これも無料。今も沈むアリゾナの上に作られた記念館。追悼銘板を残す。壁に戦死者の名前が刻まれている。花輪が捧げられており、リボンにはyamatoyamaと記されていた。
目の前、500mほどに降伏調印をした戦艦ミズーリ号も泊まっている。未だに湾内には沈められた戦艦がそのままにされており、名前を刻んだブイが浮かんでいる。
緑と青い海に囲まれた、のどかな自然にそぐわない戦艦や、潜水艦の展示。「決して忘れない」という文言。かすかな違和感を感じる。果たして広島を訪れるアメリカ人の場合、どんな空気を感じるのだろうか。
ワイキキの浜辺から、行きはバスで2.5$、帰りはタクシーで50$の旅だった。
ミズーリ号
何故か停泊している潜水艦。展示用の旧型らしい。
行きのユナイテッド航空は8割方客席は埋まっていた。
行きやすい、というのも変な話だが、今回行ってみて、ハワイは外国気分を味わうには、程の良い要素が揃っているところだと感じた。
40年ほど前にアメリカの帰途、立ち寄った時、何だかチャラいところの印象があり、地に足が着いてなく、ここはあんまり好きになれなかった。
今回、アメリカ在住の親戚の人と、現地で会いたいということで、いったのだが、不況はどこ?というくらい日本人は一杯いた。
待ち合わせのため、1時間半ほどホテルのロビーで待っていたら、海岸からの人に混じって、3組の結婚式を終えたカップルが通ったくらいである。
ホテルの窓からは絵葉書のような景色が見える。
庭にはプール、沖合には遠浅で、サーフィンの人が楽しむ
海辺のプール。海の中は尖った岩で、足に怪我をしやすい。
気候が良い、親日的(日本語表示が多い)、カジュアル、日本語が片言くらいで通じる、しかしアメリカ的である。外国気分になれる。治安もほどほどに良い。というのが人気の基礎だろうか。
九日間滞在してこれまでの悪印象が払底された。
ビールのつまみに取ったサラダ。何事にも大雑把だ。
義兄にごちそうになったステーキ屋。田中&東京。パフォーマンスがなかなか楽しい。
息子から、ハワイなら、オアフよりハワイ島が自然が残っていて楽しい。行くならハワイ島だ、と薦められていて、しかも今回自分が行って案内してくれるというので、出発の決心をした。
ホノルルはそれなりに、ハワイ島はそれ以上に魅力的であった。(次回以降に記します)