2次出火の原因が聞こえてきた。
初期の出火原因はまだはっきりとしたことは不明だが、古い家のため、内装が特殊で2次出火のもとは中央建物の壁内部に火種が隠れていたものと思われる。
炎が少しおさまってきたころ、空き地から岩見通へ抜け、旧中央病院前へと進んだところ、Oさんが立っていたので話しかけてみた。 すると開口 「ごめんね~、本当にごめんね~」
返事のしようがない。
二言三言交わした中で、「この建物はいつ頃建てられたの?」と聞いてみた。
「昭和の一桁だから」
重要文化財に指定できそうな古い建物だ。 昭和が64年、平成が23年、合計87年。 元年から計算しなくても、ゆうに80年はたっているということだ。 ある意味すごい。
古い家なので、現在の建築様式とは違い、断熱材というものはない。
コンクリ壁>紙壁>木板> おがくずとヌカを練り固めたもの(らしい) <木板<紙壁<コンクリ壁
これが部屋の壁。 さらに外壁はそれにコンクリートを練り固め、窓には鉄格子と鉄扉。
おがくず、という事に驚いた。 20歳代前半、建材部で数年仕事をしたが、「おかくず」 を断熱材替わりと言うのは初めて聞いた。
消火の際に、水を消すだけではなく、壁や天井に水を十分に含ませていればこんなことには、という声もあったが、壁の内側の造りに精通している人がいったいどれだけいたか?
現代ではスタイロフォームや、一昔前ならグラスウール。いずれも燃えにくい素材を使うようになってきている。 それらを当たり前に見てきている関係者にとって、「ここは燃えやすいおがくずが入っています」と判断できたものがどれだけいるか。 難しい。
いずれにしても。
壁の隙間のおがくずに潜り込んだ火種が息をひそめ、15時間かけて一気に声を上げたのだ。
目の前の消防車からすべての団員・署員に連絡しているのであろう。 時折大きなボリュームで連絡が入る。
そのうち、「厚生病院より北見日赤へ搬送。え~、重症。 うにゃらむにゃら・・・」
Iさんが病院へ搬送された、という話は聞いていた。 ということは彼女だよね。 重症って・・・
現場を見守る両親と私たちの元へ、役場の担当者さんがお詫びを言いに来た。
今回の事は想定できなかったのかもしれない。 それに消防の人たちは一生懸命やってくれている。
今現在、店に延焼する心配は少し減った。 それだけでもよかったのではないか。
時間の観念がなくなってしまった。
この時、何時だったんだろう。
2度目の火が出たことで、とても怖くなったと伝えると、 「朝まで見張りを立てます」 とおっしゃってくれた。 それだけでもすごく安心できる。
だって怖いんだもの。 2度あることは・・ またどこか違うところから火が出るのでは?という不安。
消防車の連絡と共に、消防車が一台また一台と撤収していく。 丸瀬布や生田原、上湧別から駆け付けてくれているのだ。 終わったのなら団員さんたちも普通の人。早く帰りたいだろう。 しかし・・・大丈夫なんだろうか。 不安・・・(^_^;)
(現在8日午後23時。 ここまでサイレンは鳴らないので、本当に鎮火してくれたのだろう。)