がんぼのぶらり紀行

北海道オホーツク遠軽で、昭和時代のお茶の間みたいな食堂 やってる おばちゃんです。

長い一日 8

2011年10月08日 23時02分24秒 | 徒然

 

2次出火の原因が聞こえてきた。

初期の出火原因はまだはっきりとしたことは不明だが、古い家のため、内装が特殊で2次出火のもとは中央建物の壁内部に火種が隠れていたものと思われる。

 

炎が少しおさまってきたころ、空き地から岩見通へ抜け、旧中央病院前へと進んだところ、Oさんが立っていたので話しかけてみた。 すると開口 「ごめんね~、本当にごめんね~」

返事のしようがない。 

二言三言交わした中で、「この建物はいつ頃建てられたの?」と聞いてみた。

「昭和の一桁だから」

重要文化財に指定できそうな古い建物だ。 昭和が64年、平成が23年、合計87年。 元年から計算しなくても、ゆうに80年はたっているということだ。 ある意味すごい。

古い家なので、現在の建築様式とは違い、断熱材というものはない。

コンクリ壁>紙壁>木板> おがくずとヌカを練り固めたもの(らしい) <木板<紙壁<コンクリ壁

これが部屋の壁。 さらに外壁はそれにコンクリートを練り固め、窓には鉄格子と鉄扉。

おがくず、という事に驚いた。 20歳代前半、建材部で数年仕事をしたが、「おかくず」 を断熱材替わりと言うのは初めて聞いた。

 

消火の際に、水を消すだけではなく、壁や天井に水を十分に含ませていればこんなことには、という声もあったが、壁の内側の造りに精通している人がいったいどれだけいたか? 

現代ではスタイロフォームや、一昔前ならグラスウール。いずれも燃えにくい素材を使うようになってきている。 それらを当たり前に見てきている関係者にとって、「ここは燃えやすいおがくずが入っています」と判断できたものがどれだけいるか。 難しい。

 

いずれにしても。

壁の隙間のおがくずに潜り込んだ火種が息をひそめ、15時間かけて一気に声を上げたのだ。

 

 

目の前の消防車からすべての団員・署員に連絡しているのであろう。 時折大きなボリュームで連絡が入る。

そのうち、「厚生病院より北見日赤へ搬送。え~、重症。 うにゃらむにゃら・・・」

Iさんが病院へ搬送された、という話は聞いていた。 ということは彼女だよね。 重症って・・・

 

 

現場を見守る両親と私たちの元へ、役場の担当者さんがお詫びを言いに来た。

今回の事は想定できなかったのかもしれない。 それに消防の人たちは一生懸命やってくれている。

今現在、店に延焼する心配は少し減った。 それだけでもよかったのではないか。

 

 

時間の観念がなくなってしまった。

この時、何時だったんだろう。

 

 

2度目の火が出たことで、とても怖くなったと伝えると、 「朝まで見張りを立てます」 とおっしゃってくれた。 それだけでもすごく安心できる。

だって怖いんだもの。 2度あることは・・  またどこか違うところから火が出るのでは?という不安。

消防車の連絡と共に、消防車が一台また一台と撤収していく。 丸瀬布や生田原、上湧別から駆け付けてくれているのだ。 終わったのなら団員さんたちも普通の人。早く帰りたいだろう。 しかし・・・大丈夫なんだろうか。 不安・・・(^_^;)

 

(現在8日午後23時。 ここまでサイレンは鳴らないので、本当に鎮火してくれたのだろう。)

 

 


長い一日 7

2011年10月08日 22時11分43秒 | 徒然

見取り図を作ってみた。 立体と平面が混在しているが我慢してくれ。

 

 

店と火元のO店は棟続きである。 まさに「うなぎの寝床」なのだ。 建物は全部つながっていて人ひとりが通れる通路で行き来する。5つの棟のうち、真ん中の建物と店とは建物は独立しているが、屋根と壁を後から作り付け物置として使っていた。

 

未明の出火は「第1火災」 の建物から。 

そして夜の火災は、「第2火災」左側の建物から発生したものらしい。

 

夜、鎮火したはずの火災が再び炎上した時の第一発見者は、タクシーの運転手さんという話が聞こえてきた。

岩見通を走っていて炎に気が付き (この時にはもう相当の火柱だったらしい) 車を止め、S宅の玄関~ゆうあい通りに面している~まで知らせに来てくれたというのだ。 

のちにSさんの息子さんから聞いた話では、2階にいた息子さんが連絡を受け窓を開けると太い火柱が猛烈な勢いで空へ噴出していたという。 またすぐ近くの窓ガラスが割れ(3階部分らしい)火が見えていたそうだ。  今度はさすがに延焼を覚悟したと話していた。

 

たくさんの消防車が再び駆けつけてくれ、建物へ極力近づけるため車をよけてくれと申し出を受け、父が自分の車は運転して岩見通へ出て行った。 しかし、もう一台、グレーの乗用車が止まっていた。

両親に聞いても「知らない」という。 無断駐車だ。 困った事に、この車があるために消防車は建物へ近づけず、放水の勢いも弱まる。 

数十分後、私の知らないうちに運転手が戻って来たらしいのだが、すでに消防車に挟まれ身動きができず結局長時間そこへ止めるままになったらしい。 アベックで2丁目の居酒屋さんへ食事に行っていたという。

 


長い一日 6

2011年10月08日 21時11分36秒 | 徒然

父が店から顔を出した。

中にいるじゃないか。(-_-;)

走り寄って、「危ないよ。とりあえず母さんと一緒にいようよ。」

 

ついでに冷蔵庫から水ポット、湯呑をいくつか持ち出した。

やはり喉が渇くのだ。 あるに越したことはない。

 

さらに傘を2本、取りに戻った。 今朝と全く同じシチュエーションだ。

デジャビュー(既視感)。 嫌なデジャビュー。

だがこれは 「あぁ、これは前に見たことがある」 ではなく 今朝と全く同じことを繰り返しているのだ。

この場合、なんといえばいいのだろうか。

 

荷物は? 持ってこなかった? 今朝のままかい?

(手前の燃え尽きた建物を見ながら)火はすぐには来ないかな、荷物持ち出すなら大丈夫かな。

 

水ポットを持ち出した時にも特に注意をされなかったので、先に立って家へ入った。

靴を脱いで2階へ駆け上がる。 あかりがついているので助かる。

 

最初に目についたのは母のノートPC。 すぐにコードをはずしまとめて、マウスも一緒に、カバンを探した。近くにはなく、次の荷物は何か部屋を見回す。

そのうちに父が、そして遅れて母が部屋に入ってきた。

母はずいぶん前から足の痛みを訴えており、階段の上り下りが特につらいのだ。

それが今回の火事で何度大変な思いをしているか。

 

今朝持ち出した荷物をまた一つにまとめ風呂敷で包む。 ノートPCのカバンを渡されたので仕舞い込み、風呂敷と一緒に階段を降りると息子がそこにいた。

「外へ持ち出して」 「どこへ?」 「Tさんにまた預かってもらって。 またすぐに戻って来てね。」

とりあえずバケツリレー。 だがもっとも有効な流れだと思った。

 

クスリが目につく。 あぁ、持って出た方がいいな。 何か袋はないか。。。 階段のところに黒い袋を見つけ開いてみると風呂道具が入っていた。 入れ物ごとは入らず、中身だけひっくり返して入れる。 まだ入る。

リモコン? いらん。 メガネ。 あぁメガネはいる。 入れ歯? 見当たらないということはまだつけてる?

電動ドライバーが目についた。 母の宝物(大工仕事大好き)だ。 とりあえず袋に入れ、ひもを結ぶ。

 

3度ほど行き来し、「服を少し持っていくかい?」という母を「いやもういい。降りよう」と薦めた。

 

部屋の電気はつけっぱなしにして、足の痛みを我慢しながら降りる母を見ながら階下へ、。

 

あと、母の手押し車。 それから・・ そこへ携帯に電話がかかってきた。 メガネがないので誰からかかってきたのかわからない。

荷物を持ち出すのに必死で、まだ、何か必要かもしれないと思っているところだったので、ここで電話に時間を取られるわけにはいかない。 「誰からだかわからない」 と息子へ電話を押しつけて 姉に電話をかけなければ、と口に出した。 

姉の勤務先を携帯に登録しておけばよかったと心から思った。

店のパーソナルアドレス帳にはない。 遠軽町の電話帳を見つけたので探す。 2つの番号があった。 1つ目の番号プッシュを押す。 気が焦る。 

呼び出し音が鳴り出した。 5回・・・ 7回・・・ なんで出ないんだよ! 誰かいるだろう!

12回呼び出しても出ないので、もう一つの電話番号をプッシュした。

 

しばらく無音が続いた後、「ピー!!」   FAXかよ! 紛らわしい!  電話帳にちゃんとFAXって書いておけよ! 時間を無駄にした。

もう一度、最初の番号をプッシュ。 5度目コールでSさんが出た。

「すみません、レジのOの母です。 すみませんが、Oに、じいちゃんの家の裏が火事なのですぐ戻るように伝えてください!」

「はい?」

 

・・・ 言い方がわかりにくかったんだろうか、と瞬間後悔した。 だが他にどういえば伝わるんだ。

「じいちゃんの家の裏の家が火事なんです。 急いで、気を付けて、帰ってくるように伝えてほしいんです!」

 

どうやら伝わった。 「わかりました。伝えます」 「お願いします」 

 

 

後ろでは息子がまだ私の携帯で話をしていた。 大家さんが心配して電話をよこしたのだが、正直なところ説明している暇はない。 「すみません、今ちょっとそれどころでなくて。明日説明に行きます。」 と強引に息子は電話を終わらせた。

そして外へ。 Tさんの店前へ。

雨の降りが激しくなっている。 Tさん店前へ逃げ込むように移動する。

 

Tさんは理美容院を経営されており、店前は3台止められる駐車場スペースがあり、そこは雨がかからない。

 

 

 


長い一日 5

2011年10月08日 20時15分24秒 | 徒然

北見到着は午前11時過ぎ。 ほぼ予定通り。

しかし、担当の院長先生が急きょ手術に入ってしまったということで診察なし、投薬のみとなる。

M〇フーズで買い物をし、再び遠軽へ。

本社の仕事のため、遅くならないうちに数件回る必要があるのだ。 

 

同僚を送り届け、一度自宅へ戻り息子と打ち合わせをし、簡単な書類を揃えて出かける。

1時間ほどで5件回り、説明とお願いに歩く。

 

「今日は大変だったねぇ」

「ほんとにねぇ・・」

 

顔を見知った人たちからは、同じ声をかけられた。

車を駐車場へ。 自宅へ戻りさっそく仕事にかかる。

今日の予定が大幅にずれ込んでしまった。 頑張るぜよ。

 

時計を見ると午後8時。

妙に静かな時間が流れ、お姉今日は何時帰宅だったかな・・ とか考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

と。

 

 

 

 

 

 

またサイレンが鳴り出した!!   ドキリとした。 

すぐに玄関へ走り店の方角を見ると、また煙が立ち上っている!!

また同じ方角なのだ。 冗談じゃないよ!


今度は店が!!

 

 

 

 

なぜ! なんで!! 消したはずではなかったのか!

 

疑問ばかりが渦巻いた。 とにかく行かなくては!

 

 

階段を途中まで駆け上がり、息子の部屋の壁を数回たたく。

「なんだぁ」

「店また火事!!」

「何っ!!」

 

 

トイレ!  

 

朝と同様に、まずは用を足しておかなければ、と思った。

(直接的表現で申し訳ないが) 尿意はなかったが、とにかく「行っておくべき!」と思った。

 

自分で落ち着こうと思っていた。 落ち着けるかどうかは別にして。

 

心臓がバフバフしているのがわかる。 飛び出してきそうだ。

手が震える。足はがくがく。 落ち着け! 自分に言い聞かせる。

未明の出火の時よりも、ずっとずっと緊張と不安とが押し寄せている。 どうしてよいのか、頭と体が一体化していない感じだ。 手が震えているのがわかる。 落ち着け! まずはパンツを上げろ、ズボンを上げろ! (あからさまな表現ですんません。(^_^;))

 

トイレにいるうちに息子が階段を駆け下りてきた。

「なんだよ! なんなんだよ!」

「わからん! とにかく行こう! 車出して!」

午前持ち帰ってきたカーディガンやら上着をそのまま放置していたのだがそれらをわしづかみにし、玄関を出る息子に続く。 携帯は? 持った? 火は? ついてない? 大丈夫? 鍵、鍵間違いなくかけて!

 

再び車に乗り込み、走り出す。

運転手が自分でなく、息子だったことに、感謝した。 とても運転できるような心情ではない。

 

「こ〇や(店名)のところで左へ曲がって! 駐車場があるからそこへ止めさせてもらおう!」

店前を通り過ぎて左折するとすぐにダンス教室の駐車場がある。

車が駐車場へ入るやエンジンを切る前に扉を開けて飛び出して走り出す。

 

数えきれない消防車と、道路にはたくさんのホースがのたくっていた。

 

店の前まで走っていくと、今朝と同じように消防車のライトを背にした母を見つけた。

 

「父さんは? どこ? 外にいるの?」

「いるよ、出てる」

 

よかった。

長い息を吐いて、改めて火の燃える現場を見た。

 

先ほど見えた炎はこの角度からは見えない。

朝方焼けた建物部分の向こう側の建物からものすごい煙が立ち上る。 岩見通側の3階建ての屋根や窓からも煙が噴き出している。 今朝、燃え残した部分が勢いを増して燃えている、に見て取れた。

相当な煙の量だ。 

 

店にすぐ隣接する、今朝がた燃えた建物部分には火は見えない。 完全に燃え尽きてしまったのだろう。

とりあえずは火が移る心配はないようだ。

しかし、やはり不安が残る。


長い一日 4

2011年10月08日 00時55分08秒 | 徒然

午前5時。

白みかけた空は急激に明るさを増していく。

だがまだ煙はゆうゆうと噴出している。

しかし手元を照らすライトが不必要になった分、作業は進んでいく。

午前5時半。すっかり明るくなったが、まだ煙は治まらない。

 

屋根に数か所穴をあけ、煙を外へ出す。 そうしないといつまでたっても火が中で回り続けるのだ。

隣のSさん、裏のOさん、向いのTさんといろいろな話をする。 中でも裏のOさんは火災現場の半目撃者みたいなもんだ。 事情聴取を受けることになった。

 

1台また1台と消防車が撤収していく。

何か不安を感じていた。 まだ屋根から煙が上っている。 燃えカスだから、ではない。 燃える【種】があるからこの煙が出ているのではないのか?

しかし消防署さんがこんなに頭数揃えているのだ。 素人が口出すものではないだろう。

 

 

父と母の申し出で、(火災の残り香で、食堂では商売ができなくなってしまったことと、わずかなお礼の気持ちを込めて)団員さんへの慰労として、そばを振舞いたい とのこと。

私も含め子供たちも「そこまでは・・」と思ったが、子供たちを先に帰し、協力することにした。

 

後片付けをしている人たち、手の空いている人たちから順繰りに食べてもらった。

丼を渡す時に触れた署員の方たちの手は、とても冷たかった。手袋も上着も何も水でびしょ濡れになり、かじかむのだろう。

「現場で温かいものを食べれるとは思いませんでした!」といった方もいる。

消防士の皆さんは本当に一生懸命やってくれているのだ。

 

午前9時。

同僚の北見行に何とか間に合い、9時過ぎ燃えないゴミを持って出発。

途中2か所寄り道をしほぼ時間通りに到着。

 

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ダメだ~ 徹夜はきつい。 ここでこれ以上起きているのが無理。

まだまだ話の続きがあるのだが、目の焦点が合わなくなってる。

だが今にもまたサイレンが鳴りだすのでは、玄関のガラス戸からは煙が見えるのでは、と不安がぬぐえず、何度も玄関へ足を運ぶ自分がいる。

朝まで警察、消防が交代で見張ってくれることになっている。 親は少しでも眠れているだろうか。

少しでも休まないと、ね。 

がんぼの徹夜継続時間は23時間24分55秒が限界。

今日は眠らせて m(_ _)m


長い一日 3

2011年10月08日 00時38分19秒 | 徒然

火事を出してしまったのは、実家が借りている家の大家さん。

昔からある、比較的大きな建物の一部である、ゆうあい通り側の家を両親が借りて食堂を経営している。 特殊なつくりで、岩見通とゆうあい通りの二つの道路をつなぐような建物で、外から見ると4つの家がくっついた形となっている。

今回、火の元はそのうち、実家よりの3つ目の建物。

実家とはわずか3メートルほどの距離しかなく、また建物自体は実家と火元の家とは、トタン屋根と木造パーツでつながれた棟続きなのだ。 トタンを伝って、梁を伝って炎が歩けば同じ木造の実家は瞬く間に炎に包まれる。 恐怖だった。 また同時に、「火が移ってしまったら潔くあきらめようね・・」 というしかなかった。

午前4時。 店から10メートルほど移動した地点から撮影。 店を含め [うなぎの寝床]のような建物だ。煙は家の中の通路を駆け抜け、天井から煙を噴き上げだした。

同じ時刻。 正面へ歩きながらの一枚。 この建物は3階。 事務所と売り場の準備場所となっていた。

一回りして戻ってきたときの一枚。 煙の勢いが先ほどよりは弱まっている。

手前の実家である店の大きさよりもはるかに高く大きな建物が燃え盛っているのは、本当に恐怖を感じる。 覆いかぶさってきそうで怖い。

 

雨は時には叩きつけ、必死に作業を進める消防士、消防団の皆さんの邪魔をする。

ようやく人が入れる程度に煙が収まってきた。 だがまだこの状態では中へは入れない。


長い一日 2

2011年10月08日 00時05分34秒 | 徒然

店の真ん前あたりまで行ったところで、消防車のライトに照らされた母のシルエットを見つけた。

やはり寝間着に薄手の羽織をはおっただけという軽装だった。 すぐに持ってきた長いカーディガンをかける。  父には息子が自分の来ていたウインドブレーカーを脱ぎ着せかけてやった。 

やっとのことで逃げたが、それでも最低限の荷物(金めのものなど)を持ち出したという。

今になって(私たちを見たからか)「震えが来ている」と手を握りしめた。

 

消防車はざっと数えても10数台。放水車だけでも大型小型含めて5台以上はいる。

中には「かみゆうべつ のチューリップ」キャラクターをつけた消防車もおり、おそらく近隣のすべてが結集しているのだろう。 相当数の頭数もいた。

電話をかけるため、わずかに後ずさった私から見た、炎と煙を見続ける家族。

 

雨が降り出した。 両親は傘も持たずジッと炎を見つめている。 傘が必要だ。

母が玄関に「傘がある」と言うので、ダッシュして玄関前へ行き、傘を2本持ち帰る。

 

店が燃えてしまうかもしれないという不安の中、同僚への電話が必要だと思った。

今日は同僚の脳外科診察日なのだ。 だが、この状況は間違いなくそれに付き添うことは無理。

初回、8回呼び出したが同僚は出なかった。

諦めて皆のところへ合流する。 遠くで携帯の着信がなっているような気がした。 同僚だった。

 

説明するのもおそらくたどたどしかったと自分で思う。 何を言っているのか、何を言おうとしているのか自分でも整理がつかなかった。

 

とりあえず、今、火事の現場にいて、店が今にも燃えてしまいそうなこと、 午前9時に出かける予定の北見病院には送って行ってあげられないこと を伝えて電話を切った。

同僚自身も驚いて「何をしたらよいか」聞かれたが、この状況では何もしてもらうことはできない。 私たち自身が何もできずに見つめるだけなのだ。

 

雨はどんどん強く降り出し、ライトに照らされる炎と煙をバックに叩きつけるようになった。

 

風がそれほど強くなく西から東へ吹いている。 強風だとすでに燃え移っているだろう。


喉が異常に乾く。 消防士さんたちは実家玄関近くにはいない。 店へ飛び込み、冷蔵庫から水ポットと食器棚から湯呑数個を持ち出した。 とりあえず水が飲みたかった。

 

M寿司さん駐車場で固まって現場を見つめる家族のそばへ、水ポットを持って合流。

「ちょっとでいいから! 落ち着こう!!」

自分に言い聞かせる私。

火の勢いはまったくおさまらない。 すでに1時間半がたった。


内容掲示

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