がんぼのぶらり紀行

北海道オホーツク遠軽で、昭和時代のお茶の間みたいな食堂 やってる おばちゃんです。

長い一日 10 完

2011年10月09日 22時42分59秒 | 徒然

眠りについたのは午前3時を過ぎていたと思う。

ベッドに横になっても、不安で眠れずにいた。

暗い中、トイレへ向かう。

途中、つい玄関から店の方向を確認してしまう。

何もない。 むろん何かあっては困るのだ。

 

父さん、母さん、寝たかな。。 きっと寝てないだろうな。。眠れないだろうな。。

 

夜の出火は誰も想像さえできなかったこと。 

ふつうは誰だって もう大丈夫 と思うだろう。 大きな火災が発生し、十数台の消防車により放水、鎮火。 誰もが 「火は消えた。 落ち着いたら現場を見に来よう」 と考える。

まさか同じ日に二度も同じ現場が火を噴いて、大サイレンが鳴るとは誰も考えない。

むろん、私も私の家族も、そして両親も。

 

だが、火は人の目から隠れて、自分を育てていたのだ。

 

 

・・ 母のブログから引用 ・・

7時頃かしら もうくたびれた寝ょうょ       ぐっすりねこんでいたらしい 
何かよくわからないが 異常な雰囲気でめが覚めた・・ 飛び起き よたよたしながら

「今度はなにッ~」 「解らんがッ 外から 大きな声で何か言われたッ・・・ 」


2階のカーテンのむこうで 高めの赤い標識灯がいくつもいくつもグルグル・・ 
何やら甲高い怒声も   急ぎカーテンと窓を開けると 火の手が上がった の声が

外へッ・・外へッ・・の どなり声  あまりたくさんの声は 逆に言葉にならず

要するに  消火しきれなかった残り火が再発火して 火柱状態になり 夜空へ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

明け方 午前3時 出火。

朝  午前7時 鎮火。

午後 午後1時 現場検証。

夜 午後7時 再び出火。

深夜 午後11時 鎮火。

 

火事というだけでもおおごとなのに、24時間以内に二度の出火。

精神的にも体力的にも疲れ方は半端ではなかった。

 

 

 

 

 

 

翌8日。

昨夜、まだ現場(店)にいた午後10時半頃、紋別のお客様からサーバーが止まっている(回線異常)という電話が入り、電話で同僚の力を借りながら対応を進めた。

日を改めて先方の社長さんにお願いしてルータの再起動をしてもらったが、これを機会に完全移行してしまう方向で、急きょ紋別のオーナーに話をしに出かけた。

話の内容によってはそのまま滝上経由で旭川に行くことになるかもしれなかったが、同僚の言った通り原因はルータであり、ルータの再起動をしたことで時間はかかったが復旧はした。

オーナーには、これを機にサイトの管理の引っ越しをしてしまいたいとお願いをし、了承された。戻ってすぐに作業にかかることとする。

 

午後2時半過ぎ。

遠軽へ入り、直接自宅へは戻らず店へ向かった。 先に営業に出かけた息子ともおそらく会えるだろうと思ったからだ。 私が行くべき個所があったが、急きょの紋別が決定したため息子に頼んでいた。

 

 

駅前通りからゆうあい通りへ曲がる。

パッと見た目は、これまでと変わらない。 

だが、正面へ来ると、窓が黒く焦げ、ガラスがないので火事焼け跡だ。 おまけに火事場焼け跡の特有の匂い。


実家店の駐車場へ車を止め、店へはいろうと思ったが、そのまま玄関を通り過ぎた。

店の横から、いつもOさんが出入りしていた道を、家を見ながら進んでいった。

右側のクリーム色の壁が、両親の店。2階は寝室。

そこからトタン板の壁と入口の枠が見えて、そして燃えた棟へつながっている。

火事の建物と実家とは、本当にわずか2~3メートルなのだ。 よく燃え移ることなかったと思う。

左側の薄いグリーンの壁はOさんのところの車庫だ。車3台は入る奥行。

 

その向こう側から燃えた棟づたいに歩いていくと、中から声をかけられた。

昔ここで働いていたという方だが名前はわからない。

あちらは私のことをよく覚えていて10分ほど外と中とから話をした。

 

店が燃えずに残ったのは本当によかった。  きっとずっと前に亡くなったばあちゃんやじいちゃん、Kさんが守ってくれたんだよ。  だからお礼を言ってたんだ。  あんたのところの店に燃え移らないよう助けてくれてありがとうって。

仏壇が燃えずに残っていて、お参りをしたという。 

 

私もぜひ手を合わせたいと思った。 じいちゃんは覚えていないが、ばあちゃんとKさんにはずいぶんかわいがってもらったものだ。

「表から入れる?」

「裏からも入れるよ。足場が悪いから気を付けて」

 

 

 

 

店後ろ、右側の入り口から入ったところ。

分厚い鉄の扉がぐんにゃりと曲がって外れていた。

熱で曲がったものなのか、消火のために曲げたものなのかは不明。

写真の左側から建物内に1本通路が始まる。

足元には写真のネガがいくつか、アルバム、本などが散乱していた。

 

入口付近は燃えた壁や天井、布団や道具などが山高に積みあがっていて、かなり足場が悪い。 どこかにつかまろうにもちょっと戸惑ってしまう状態だ。

上からはひっきりなしに水がしたたっていて、頭や肩に落ちる。

 

裏から入ってすぐ左上を見上げたところ。

2階の部屋だが、床が完全に落ち、見えているのは2階の天井部分だ。 この部屋より店側の部屋は、床部分は残っていた。 

 

通路を、ゆうあい通りから岩見通へ向かって歩いていく。

 

私自身、出前を持って何度も来たところだ。 どこに何があるのかわかっている。

それがこんな姿になってしまったのは切なかった。

 

 

中に入ってしまうと、どこからどこまでが建物の区切りなのかがわからない。

そういえばこれまでも、そんなことを考えて通ったことはなかった。

いつも暗くて手さぐりで入ってきていた通路だった。

 

皮肉なことに、今は至る所から日の光が入ってくる。 明るい。

 

右手の部屋の床におがくずが積みあがっていた。 こんなところになぜおがくず? と思った瞬間、「あぁ、壁の中のおがくず!」 と思いついた。

そして、ここがどうやら夜の火元となったらしい部屋だ。

左手は駐車場とS宅のある方向。

この壁の中に、おがくずが詰められていたものらしい。

 

Oさんと昔働いていた先ほどの人と、今働いている人、そして向かいのTさんが一緒に入ってきた。 通路の途中にある冷凍庫の中身がまだ使えるので何とかしたいということだった。

電気屋さんが来たので冷凍庫を買いたいと言ったのだが、在庫がないという。 

しかし誰かの冷凍庫に預かってもらうにしてもたくさんのものだ。 分けて預けるしかないのか。

 

余計なことかと思ったが、「市場の冷凍庫とか、貸してもらえないんですかね?」と口をはさんだら、「あぁ!あんたいい事言う!!」

 

結局その後、30分ほど食品を出すのを手伝うことになった。

 

使えるものは使いたい。 一日も早く、仕事を始めたい。

そんな思いが伝わってきた。

 

2度目の現場検証は、北見へ搬送されたIさんが戻ってからになるそうだ。 それが終わってから解体するという。

遠軽のかにめしは全国的にも有名だ。 ぜひ早く、JRで遠軽を訪れるみんなを楽しませてもらいたい。

 

 

 

火事はもうたくさん。 気を付けよう。


長い一日 9

2011年10月09日 21時30分28秒 | 徒然

午後10時過ぎ。

父が店へはいり、「寒い」 とストーブに火を入れた。

あれだけ火を見たためか、まきストーブから出る煙が怖かった。

だが傘をさしていても、Tさんの店前で雨をよけることはできていたとしても、寒さには勝てない。

 

気が付けば、あれだけいた消防車も人だかりも、いつの間にか消えている。

それらに気づかないほど、どれだけ夢中でいたのか。

 

持ち出した荷物を引き取り、再度2階へあげる。 母になるべく重いものを持たせないように。

 

ざっと片付け、コーヒーが入れられた。

熱いコーヒーがありがたい。

 

「お腹がすいたでしょ」 と母はすぐにうどんを作り出した。同時にスープも作った。

朝には私がおにぎりを作り、子供たちに食べさせた。

 

・・・ あれ ・・・ おにぎりは夜だったろうか。

うどんが朝だったろうか。 ・・・ ごっちゃになっている。

 

とにかくよかったよかった。

店に飛び火しなくって。

誰も怪我をしなくって。

もう二度とあのサイレンは聞きたくないよ。

 

明日の朝まで、警察と消防署の人が交代で監視してくれるそうだよ。

何事もなく、朝を迎えられることを祈ろうよ。

 

両親が夕方食べたらしいカレーのルぅが入った鍋を、作り足して持たせてくれた。

 

こんなことがなければ、「朝は大変だったね」 で終わるはずだったのにね。

誰も夜になって再び、火事の憂き目に会うなんて考えなかったものね。

 

不安で眠れないかもしれないけど、少しは横になろうね。

体は疲れているはずだから。

今日はゆっくり休もうね。 気持ちも、心も。

 

母に見送られて店を出ると、駐車場には大型消防車が1台、その向こうの空き地に中型が1台、ワゴンが1台計3台エンジンをかけたまま待機していた。

駐車場前を横切ろうとすると隣を歩く娘が頭を下げた。 ふと見ると、運転席からこちらを見る影があった。 私も頭を下げた。

ありがとうございました。 どうかこの後も両親を守ってください。お願いします。

 

北洋銀行の駐車場一番奥に止めていた娘の車の助手席に腰を落ち着けて、(なぜ一番奥なのだ?(笑)) 持っている熱いはずのカレー鍋の底が、逆に冷えた体に暖かい。

 

 

午後11時になっていた。 自宅の電気はつけっぱなし。

玄関のカギを開ける間もなく、ごはんを待ちくたびれた猫どもが大合唱。

「ごは~ん、ごは~ん!」

「おっそいじゃんか! 何やってたんだよぉ!」

「腹減った~、さっさと飯くれ~!!」

と言ったかどうかはわからんが。

 

でもこの子らの顔を見て、鳴き声を聞いてホッとしたのは事実。

 

やり残した仕事に手を付ける。

そして、今日の記録を付け始める。

思い出すとやりきれない。 本当に無事でよかったと心から思う。

 

先に食事を終えた息子が、「無理しても食え」と用意してくれた。

両親が、店が、怪我もなく、無事で元気だからこそ食べられる、店のカレー。

食べながら涙が出た。


内容掲示

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