がんぼのぶらり紀行

北海道オホーツク遠軽で、昭和時代のお茶の間みたいな食堂 やってる おばちゃんです。

長い一日 10 完

2011年10月09日 22時42分59秒 | 徒然

眠りについたのは午前3時を過ぎていたと思う。

ベッドに横になっても、不安で眠れずにいた。

暗い中、トイレへ向かう。

途中、つい玄関から店の方向を確認してしまう。

何もない。 むろん何かあっては困るのだ。

 

父さん、母さん、寝たかな。。 きっと寝てないだろうな。。眠れないだろうな。。

 

夜の出火は誰も想像さえできなかったこと。 

ふつうは誰だって もう大丈夫 と思うだろう。 大きな火災が発生し、十数台の消防車により放水、鎮火。 誰もが 「火は消えた。 落ち着いたら現場を見に来よう」 と考える。

まさか同じ日に二度も同じ現場が火を噴いて、大サイレンが鳴るとは誰も考えない。

むろん、私も私の家族も、そして両親も。

 

だが、火は人の目から隠れて、自分を育てていたのだ。

 

 

・・ 母のブログから引用 ・・

7時頃かしら もうくたびれた寝ょうょ       ぐっすりねこんでいたらしい 
何かよくわからないが 異常な雰囲気でめが覚めた・・ 飛び起き よたよたしながら

「今度はなにッ~」 「解らんがッ 外から 大きな声で何か言われたッ・・・ 」


2階のカーテンのむこうで 高めの赤い標識灯がいくつもいくつもグルグル・・ 
何やら甲高い怒声も   急ぎカーテンと窓を開けると 火の手が上がった の声が

外へッ・・外へッ・・の どなり声  あまりたくさんの声は 逆に言葉にならず

要するに  消火しきれなかった残り火が再発火して 火柱状態になり 夜空へ

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

明け方 午前3時 出火。

朝  午前7時 鎮火。

午後 午後1時 現場検証。

夜 午後7時 再び出火。

深夜 午後11時 鎮火。

 

火事というだけでもおおごとなのに、24時間以内に二度の出火。

精神的にも体力的にも疲れ方は半端ではなかった。

 

 

 

 

 

 

翌8日。

昨夜、まだ現場(店)にいた午後10時半頃、紋別のお客様からサーバーが止まっている(回線異常)という電話が入り、電話で同僚の力を借りながら対応を進めた。

日を改めて先方の社長さんにお願いしてルータの再起動をしてもらったが、これを機会に完全移行してしまう方向で、急きょ紋別のオーナーに話をしに出かけた。

話の内容によってはそのまま滝上経由で旭川に行くことになるかもしれなかったが、同僚の言った通り原因はルータであり、ルータの再起動をしたことで時間はかかったが復旧はした。

オーナーには、これを機にサイトの管理の引っ越しをしてしまいたいとお願いをし、了承された。戻ってすぐに作業にかかることとする。

 

午後2時半過ぎ。

遠軽へ入り、直接自宅へは戻らず店へ向かった。 先に営業に出かけた息子ともおそらく会えるだろうと思ったからだ。 私が行くべき個所があったが、急きょの紋別が決定したため息子に頼んでいた。

 

 

駅前通りからゆうあい通りへ曲がる。

パッと見た目は、これまでと変わらない。 

だが、正面へ来ると、窓が黒く焦げ、ガラスがないので火事焼け跡だ。 おまけに火事場焼け跡の特有の匂い。


実家店の駐車場へ車を止め、店へはいろうと思ったが、そのまま玄関を通り過ぎた。

店の横から、いつもOさんが出入りしていた道を、家を見ながら進んでいった。

右側のクリーム色の壁が、両親の店。2階は寝室。

そこからトタン板の壁と入口の枠が見えて、そして燃えた棟へつながっている。

火事の建物と実家とは、本当にわずか2~3メートルなのだ。 よく燃え移ることなかったと思う。

左側の薄いグリーンの壁はOさんのところの車庫だ。車3台は入る奥行。

 

その向こう側から燃えた棟づたいに歩いていくと、中から声をかけられた。

昔ここで働いていたという方だが名前はわからない。

あちらは私のことをよく覚えていて10分ほど外と中とから話をした。

 

店が燃えずに残ったのは本当によかった。  きっとずっと前に亡くなったばあちゃんやじいちゃん、Kさんが守ってくれたんだよ。  だからお礼を言ってたんだ。  あんたのところの店に燃え移らないよう助けてくれてありがとうって。

仏壇が燃えずに残っていて、お参りをしたという。 

 

私もぜひ手を合わせたいと思った。 じいちゃんは覚えていないが、ばあちゃんとKさんにはずいぶんかわいがってもらったものだ。

「表から入れる?」

「裏からも入れるよ。足場が悪いから気を付けて」

 

 

 

 

店後ろ、右側の入り口から入ったところ。

分厚い鉄の扉がぐんにゃりと曲がって外れていた。

熱で曲がったものなのか、消火のために曲げたものなのかは不明。

写真の左側から建物内に1本通路が始まる。

足元には写真のネガがいくつか、アルバム、本などが散乱していた。

 

入口付近は燃えた壁や天井、布団や道具などが山高に積みあがっていて、かなり足場が悪い。 どこかにつかまろうにもちょっと戸惑ってしまう状態だ。

上からはひっきりなしに水がしたたっていて、頭や肩に落ちる。

 

裏から入ってすぐ左上を見上げたところ。

2階の部屋だが、床が完全に落ち、見えているのは2階の天井部分だ。 この部屋より店側の部屋は、床部分は残っていた。 

 

通路を、ゆうあい通りから岩見通へ向かって歩いていく。

 

私自身、出前を持って何度も来たところだ。 どこに何があるのかわかっている。

それがこんな姿になってしまったのは切なかった。

 

 

中に入ってしまうと、どこからどこまでが建物の区切りなのかがわからない。

そういえばこれまでも、そんなことを考えて通ったことはなかった。

いつも暗くて手さぐりで入ってきていた通路だった。

 

皮肉なことに、今は至る所から日の光が入ってくる。 明るい。

 

右手の部屋の床におがくずが積みあがっていた。 こんなところになぜおがくず? と思った瞬間、「あぁ、壁の中のおがくず!」 と思いついた。

そして、ここがどうやら夜の火元となったらしい部屋だ。

左手は駐車場とS宅のある方向。

この壁の中に、おがくずが詰められていたものらしい。

 

Oさんと昔働いていた先ほどの人と、今働いている人、そして向かいのTさんが一緒に入ってきた。 通路の途中にある冷凍庫の中身がまだ使えるので何とかしたいということだった。

電気屋さんが来たので冷凍庫を買いたいと言ったのだが、在庫がないという。 

しかし誰かの冷凍庫に預かってもらうにしてもたくさんのものだ。 分けて預けるしかないのか。

 

余計なことかと思ったが、「市場の冷凍庫とか、貸してもらえないんですかね?」と口をはさんだら、「あぁ!あんたいい事言う!!」

 

結局その後、30分ほど食品を出すのを手伝うことになった。

 

使えるものは使いたい。 一日も早く、仕事を始めたい。

そんな思いが伝わってきた。

 

2度目の現場検証は、北見へ搬送されたIさんが戻ってからになるそうだ。 それが終わってから解体するという。

遠軽のかにめしは全国的にも有名だ。 ぜひ早く、JRで遠軽を訪れるみんなを楽しませてもらいたい。

 

 

 

火事はもうたくさん。 気を付けよう。


長い一日 9

2011年10月09日 21時30分28秒 | 徒然

午後10時過ぎ。

父が店へはいり、「寒い」 とストーブに火を入れた。

あれだけ火を見たためか、まきストーブから出る煙が怖かった。

だが傘をさしていても、Tさんの店前で雨をよけることはできていたとしても、寒さには勝てない。

 

気が付けば、あれだけいた消防車も人だかりも、いつの間にか消えている。

それらに気づかないほど、どれだけ夢中でいたのか。

 

持ち出した荷物を引き取り、再度2階へあげる。 母になるべく重いものを持たせないように。

 

ざっと片付け、コーヒーが入れられた。

熱いコーヒーがありがたい。

 

「お腹がすいたでしょ」 と母はすぐにうどんを作り出した。同時にスープも作った。

朝には私がおにぎりを作り、子供たちに食べさせた。

 

・・・ あれ ・・・ おにぎりは夜だったろうか。

うどんが朝だったろうか。 ・・・ ごっちゃになっている。

 

とにかくよかったよかった。

店に飛び火しなくって。

誰も怪我をしなくって。

もう二度とあのサイレンは聞きたくないよ。

 

明日の朝まで、警察と消防署の人が交代で監視してくれるそうだよ。

何事もなく、朝を迎えられることを祈ろうよ。

 

両親が夕方食べたらしいカレーのルぅが入った鍋を、作り足して持たせてくれた。

 

こんなことがなければ、「朝は大変だったね」 で終わるはずだったのにね。

誰も夜になって再び、火事の憂き目に会うなんて考えなかったものね。

 

不安で眠れないかもしれないけど、少しは横になろうね。

体は疲れているはずだから。

今日はゆっくり休もうね。 気持ちも、心も。

 

母に見送られて店を出ると、駐車場には大型消防車が1台、その向こうの空き地に中型が1台、ワゴンが1台計3台エンジンをかけたまま待機していた。

駐車場前を横切ろうとすると隣を歩く娘が頭を下げた。 ふと見ると、運転席からこちらを見る影があった。 私も頭を下げた。

ありがとうございました。 どうかこの後も両親を守ってください。お願いします。

 

北洋銀行の駐車場一番奥に止めていた娘の車の助手席に腰を落ち着けて、(なぜ一番奥なのだ?(笑)) 持っている熱いはずのカレー鍋の底が、逆に冷えた体に暖かい。

 

 

午後11時になっていた。 自宅の電気はつけっぱなし。

玄関のカギを開ける間もなく、ごはんを待ちくたびれた猫どもが大合唱。

「ごは~ん、ごは~ん!」

「おっそいじゃんか! 何やってたんだよぉ!」

「腹減った~、さっさと飯くれ~!!」

と言ったかどうかはわからんが。

 

でもこの子らの顔を見て、鳴き声を聞いてホッとしたのは事実。

 

やり残した仕事に手を付ける。

そして、今日の記録を付け始める。

思い出すとやりきれない。 本当に無事でよかったと心から思う。

 

先に食事を終えた息子が、「無理しても食え」と用意してくれた。

両親が、店が、怪我もなく、無事で元気だからこそ食べられる、店のカレー。

食べながら涙が出た。


長い一日 8

2011年10月08日 23時02分24秒 | 徒然

 

2次出火の原因が聞こえてきた。

初期の出火原因はまだはっきりとしたことは不明だが、古い家のため、内装が特殊で2次出火のもとは中央建物の壁内部に火種が隠れていたものと思われる。

 

炎が少しおさまってきたころ、空き地から岩見通へ抜け、旧中央病院前へと進んだところ、Oさんが立っていたので話しかけてみた。 すると開口 「ごめんね~、本当にごめんね~」

返事のしようがない。 

二言三言交わした中で、「この建物はいつ頃建てられたの?」と聞いてみた。

「昭和の一桁だから」

重要文化財に指定できそうな古い建物だ。 昭和が64年、平成が23年、合計87年。 元年から計算しなくても、ゆうに80年はたっているということだ。 ある意味すごい。

古い家なので、現在の建築様式とは違い、断熱材というものはない。

コンクリ壁>紙壁>木板> おがくずとヌカを練り固めたもの(らしい) <木板<紙壁<コンクリ壁

これが部屋の壁。 さらに外壁はそれにコンクリートを練り固め、窓には鉄格子と鉄扉。

おがくず、という事に驚いた。 20歳代前半、建材部で数年仕事をしたが、「おかくず」 を断熱材替わりと言うのは初めて聞いた。

 

消火の際に、水を消すだけではなく、壁や天井に水を十分に含ませていればこんなことには、という声もあったが、壁の内側の造りに精通している人がいったいどれだけいたか? 

現代ではスタイロフォームや、一昔前ならグラスウール。いずれも燃えにくい素材を使うようになってきている。 それらを当たり前に見てきている関係者にとって、「ここは燃えやすいおがくずが入っています」と判断できたものがどれだけいるか。 難しい。

 

いずれにしても。

壁の隙間のおがくずに潜り込んだ火種が息をひそめ、15時間かけて一気に声を上げたのだ。

 

 

目の前の消防車からすべての団員・署員に連絡しているのであろう。 時折大きなボリュームで連絡が入る。

そのうち、「厚生病院より北見日赤へ搬送。え~、重症。 うにゃらむにゃら・・・」

Iさんが病院へ搬送された、という話は聞いていた。 ということは彼女だよね。 重症って・・・

 

 

現場を見守る両親と私たちの元へ、役場の担当者さんがお詫びを言いに来た。

今回の事は想定できなかったのかもしれない。 それに消防の人たちは一生懸命やってくれている。

今現在、店に延焼する心配は少し減った。 それだけでもよかったのではないか。

 

 

時間の観念がなくなってしまった。

この時、何時だったんだろう。

 

 

2度目の火が出たことで、とても怖くなったと伝えると、 「朝まで見張りを立てます」 とおっしゃってくれた。 それだけでもすごく安心できる。

だって怖いんだもの。 2度あることは・・  またどこか違うところから火が出るのでは?という不安。

消防車の連絡と共に、消防車が一台また一台と撤収していく。 丸瀬布や生田原、上湧別から駆け付けてくれているのだ。 終わったのなら団員さんたちも普通の人。早く帰りたいだろう。 しかし・・・大丈夫なんだろうか。 不安・・・(^_^;)

 

(現在8日午後23時。 ここまでサイレンは鳴らないので、本当に鎮火してくれたのだろう。)

 

 


長い一日 7

2011年10月08日 22時11分43秒 | 徒然

見取り図を作ってみた。 立体と平面が混在しているが我慢してくれ。

 

 

店と火元のO店は棟続きである。 まさに「うなぎの寝床」なのだ。 建物は全部つながっていて人ひとりが通れる通路で行き来する。5つの棟のうち、真ん中の建物と店とは建物は独立しているが、屋根と壁を後から作り付け物置として使っていた。

 

未明の出火は「第1火災」 の建物から。 

そして夜の火災は、「第2火災」左側の建物から発生したものらしい。

 

夜、鎮火したはずの火災が再び炎上した時の第一発見者は、タクシーの運転手さんという話が聞こえてきた。

岩見通を走っていて炎に気が付き (この時にはもう相当の火柱だったらしい) 車を止め、S宅の玄関~ゆうあい通りに面している~まで知らせに来てくれたというのだ。 

のちにSさんの息子さんから聞いた話では、2階にいた息子さんが連絡を受け窓を開けると太い火柱が猛烈な勢いで空へ噴出していたという。 またすぐ近くの窓ガラスが割れ(3階部分らしい)火が見えていたそうだ。  今度はさすがに延焼を覚悟したと話していた。

 

たくさんの消防車が再び駆けつけてくれ、建物へ極力近づけるため車をよけてくれと申し出を受け、父が自分の車は運転して岩見通へ出て行った。 しかし、もう一台、グレーの乗用車が止まっていた。

両親に聞いても「知らない」という。 無断駐車だ。 困った事に、この車があるために消防車は建物へ近づけず、放水の勢いも弱まる。 

数十分後、私の知らないうちに運転手が戻って来たらしいのだが、すでに消防車に挟まれ身動きができず結局長時間そこへ止めるままになったらしい。 アベックで2丁目の居酒屋さんへ食事に行っていたという。

 


長い一日 6

2011年10月08日 21時11分36秒 | 徒然

父が店から顔を出した。

中にいるじゃないか。(-_-;)

走り寄って、「危ないよ。とりあえず母さんと一緒にいようよ。」

 

ついでに冷蔵庫から水ポット、湯呑をいくつか持ち出した。

やはり喉が渇くのだ。 あるに越したことはない。

 

さらに傘を2本、取りに戻った。 今朝と全く同じシチュエーションだ。

デジャビュー(既視感)。 嫌なデジャビュー。

だがこれは 「あぁ、これは前に見たことがある」 ではなく 今朝と全く同じことを繰り返しているのだ。

この場合、なんといえばいいのだろうか。

 

荷物は? 持ってこなかった? 今朝のままかい?

(手前の燃え尽きた建物を見ながら)火はすぐには来ないかな、荷物持ち出すなら大丈夫かな。

 

水ポットを持ち出した時にも特に注意をされなかったので、先に立って家へ入った。

靴を脱いで2階へ駆け上がる。 あかりがついているので助かる。

 

最初に目についたのは母のノートPC。 すぐにコードをはずしまとめて、マウスも一緒に、カバンを探した。近くにはなく、次の荷物は何か部屋を見回す。

そのうちに父が、そして遅れて母が部屋に入ってきた。

母はずいぶん前から足の痛みを訴えており、階段の上り下りが特につらいのだ。

それが今回の火事で何度大変な思いをしているか。

 

今朝持ち出した荷物をまた一つにまとめ風呂敷で包む。 ノートPCのカバンを渡されたので仕舞い込み、風呂敷と一緒に階段を降りると息子がそこにいた。

「外へ持ち出して」 「どこへ?」 「Tさんにまた預かってもらって。 またすぐに戻って来てね。」

とりあえずバケツリレー。 だがもっとも有効な流れだと思った。

 

クスリが目につく。 あぁ、持って出た方がいいな。 何か袋はないか。。。 階段のところに黒い袋を見つけ開いてみると風呂道具が入っていた。 入れ物ごとは入らず、中身だけひっくり返して入れる。 まだ入る。

リモコン? いらん。 メガネ。 あぁメガネはいる。 入れ歯? 見当たらないということはまだつけてる?

電動ドライバーが目についた。 母の宝物(大工仕事大好き)だ。 とりあえず袋に入れ、ひもを結ぶ。

 

3度ほど行き来し、「服を少し持っていくかい?」という母を「いやもういい。降りよう」と薦めた。

 

部屋の電気はつけっぱなしにして、足の痛みを我慢しながら降りる母を見ながら階下へ、。

 

あと、母の手押し車。 それから・・ そこへ携帯に電話がかかってきた。 メガネがないので誰からかかってきたのかわからない。

荷物を持ち出すのに必死で、まだ、何か必要かもしれないと思っているところだったので、ここで電話に時間を取られるわけにはいかない。 「誰からだかわからない」 と息子へ電話を押しつけて 姉に電話をかけなければ、と口に出した。 

姉の勤務先を携帯に登録しておけばよかったと心から思った。

店のパーソナルアドレス帳にはない。 遠軽町の電話帳を見つけたので探す。 2つの番号があった。 1つ目の番号プッシュを押す。 気が焦る。 

呼び出し音が鳴り出した。 5回・・・ 7回・・・ なんで出ないんだよ! 誰かいるだろう!

12回呼び出しても出ないので、もう一つの電話番号をプッシュした。

 

しばらく無音が続いた後、「ピー!!」   FAXかよ! 紛らわしい!  電話帳にちゃんとFAXって書いておけよ! 時間を無駄にした。

もう一度、最初の番号をプッシュ。 5度目コールでSさんが出た。

「すみません、レジのOの母です。 すみませんが、Oに、じいちゃんの家の裏が火事なのですぐ戻るように伝えてください!」

「はい?」

 

・・・ 言い方がわかりにくかったんだろうか、と瞬間後悔した。 だが他にどういえば伝わるんだ。

「じいちゃんの家の裏の家が火事なんです。 急いで、気を付けて、帰ってくるように伝えてほしいんです!」

 

どうやら伝わった。 「わかりました。伝えます」 「お願いします」 

 

 

後ろでは息子がまだ私の携帯で話をしていた。 大家さんが心配して電話をよこしたのだが、正直なところ説明している暇はない。 「すみません、今ちょっとそれどころでなくて。明日説明に行きます。」 と強引に息子は電話を終わらせた。

そして外へ。 Tさんの店前へ。

雨の降りが激しくなっている。 Tさん店前へ逃げ込むように移動する。

 

Tさんは理美容院を経営されており、店前は3台止められる駐車場スペースがあり、そこは雨がかからない。

 

 

 


長い一日 5

2011年10月08日 20時15分24秒 | 徒然

北見到着は午前11時過ぎ。 ほぼ予定通り。

しかし、担当の院長先生が急きょ手術に入ってしまったということで診察なし、投薬のみとなる。

M〇フーズで買い物をし、再び遠軽へ。

本社の仕事のため、遅くならないうちに数件回る必要があるのだ。 

 

同僚を送り届け、一度自宅へ戻り息子と打ち合わせをし、簡単な書類を揃えて出かける。

1時間ほどで5件回り、説明とお願いに歩く。

 

「今日は大変だったねぇ」

「ほんとにねぇ・・」

 

顔を見知った人たちからは、同じ声をかけられた。

車を駐車場へ。 自宅へ戻りさっそく仕事にかかる。

今日の予定が大幅にずれ込んでしまった。 頑張るぜよ。

 

時計を見ると午後8時。

妙に静かな時間が流れ、お姉今日は何時帰宅だったかな・・ とか考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

と。

 

 

 

 

 

 

またサイレンが鳴り出した!!   ドキリとした。 

すぐに玄関へ走り店の方角を見ると、また煙が立ち上っている!!

また同じ方角なのだ。 冗談じゃないよ!


今度は店が!!

 

 

 

 

なぜ! なんで!! 消したはずではなかったのか!

 

疑問ばかりが渦巻いた。 とにかく行かなくては!

 

 

階段を途中まで駆け上がり、息子の部屋の壁を数回たたく。

「なんだぁ」

「店また火事!!」

「何っ!!」

 

 

トイレ!  

 

朝と同様に、まずは用を足しておかなければ、と思った。

(直接的表現で申し訳ないが) 尿意はなかったが、とにかく「行っておくべき!」と思った。

 

自分で落ち着こうと思っていた。 落ち着けるかどうかは別にして。

 

心臓がバフバフしているのがわかる。 飛び出してきそうだ。

手が震える。足はがくがく。 落ち着け! 自分に言い聞かせる。

未明の出火の時よりも、ずっとずっと緊張と不安とが押し寄せている。 どうしてよいのか、頭と体が一体化していない感じだ。 手が震えているのがわかる。 落ち着け! まずはパンツを上げろ、ズボンを上げろ! (あからさまな表現ですんません。(^_^;))

 

トイレにいるうちに息子が階段を駆け下りてきた。

「なんだよ! なんなんだよ!」

「わからん! とにかく行こう! 車出して!」

午前持ち帰ってきたカーディガンやら上着をそのまま放置していたのだがそれらをわしづかみにし、玄関を出る息子に続く。 携帯は? 持った? 火は? ついてない? 大丈夫? 鍵、鍵間違いなくかけて!

 

再び車に乗り込み、走り出す。

運転手が自分でなく、息子だったことに、感謝した。 とても運転できるような心情ではない。

 

「こ〇や(店名)のところで左へ曲がって! 駐車場があるからそこへ止めさせてもらおう!」

店前を通り過ぎて左折するとすぐにダンス教室の駐車場がある。

車が駐車場へ入るやエンジンを切る前に扉を開けて飛び出して走り出す。

 

数えきれない消防車と、道路にはたくさんのホースがのたくっていた。

 

店の前まで走っていくと、今朝と同じように消防車のライトを背にした母を見つけた。

 

「父さんは? どこ? 外にいるの?」

「いるよ、出てる」

 

よかった。

長い息を吐いて、改めて火の燃える現場を見た。

 

先ほど見えた炎はこの角度からは見えない。

朝方焼けた建物部分の向こう側の建物からものすごい煙が立ち上る。 岩見通側の3階建ての屋根や窓からも煙が噴き出している。 今朝、燃え残した部分が勢いを増して燃えている、に見て取れた。

相当な煙の量だ。 

 

店にすぐ隣接する、今朝がた燃えた建物部分には火は見えない。 完全に燃え尽きてしまったのだろう。

とりあえずは火が移る心配はないようだ。

しかし、やはり不安が残る。


長い一日 4

2011年10月08日 00時55分08秒 | 徒然

午前5時。

白みかけた空は急激に明るさを増していく。

だがまだ煙はゆうゆうと噴出している。

しかし手元を照らすライトが不必要になった分、作業は進んでいく。

午前5時半。すっかり明るくなったが、まだ煙は治まらない。

 

屋根に数か所穴をあけ、煙を外へ出す。 そうしないといつまでたっても火が中で回り続けるのだ。

隣のSさん、裏のOさん、向いのTさんといろいろな話をする。 中でも裏のOさんは火災現場の半目撃者みたいなもんだ。 事情聴取を受けることになった。

 

1台また1台と消防車が撤収していく。

何か不安を感じていた。 まだ屋根から煙が上っている。 燃えカスだから、ではない。 燃える【種】があるからこの煙が出ているのではないのか?

しかし消防署さんがこんなに頭数揃えているのだ。 素人が口出すものではないだろう。

 

 

父と母の申し出で、(火災の残り香で、食堂では商売ができなくなってしまったことと、わずかなお礼の気持ちを込めて)団員さんへの慰労として、そばを振舞いたい とのこと。

私も含め子供たちも「そこまでは・・」と思ったが、子供たちを先に帰し、協力することにした。

 

後片付けをしている人たち、手の空いている人たちから順繰りに食べてもらった。

丼を渡す時に触れた署員の方たちの手は、とても冷たかった。手袋も上着も何も水でびしょ濡れになり、かじかむのだろう。

「現場で温かいものを食べれるとは思いませんでした!」といった方もいる。

消防士の皆さんは本当に一生懸命やってくれているのだ。

 

午前9時。

同僚の北見行に何とか間に合い、9時過ぎ燃えないゴミを持って出発。

途中2か所寄り道をしほぼ時間通りに到着。

 

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ダメだ~ 徹夜はきつい。 ここでこれ以上起きているのが無理。

まだまだ話の続きがあるのだが、目の焦点が合わなくなってる。

だが今にもまたサイレンが鳴りだすのでは、玄関のガラス戸からは煙が見えるのでは、と不安がぬぐえず、何度も玄関へ足を運ぶ自分がいる。

朝まで警察、消防が交代で見張ってくれることになっている。 親は少しでも眠れているだろうか。

少しでも休まないと、ね。 

がんぼの徹夜継続時間は23時間24分55秒が限界。

今日は眠らせて m(_ _)m


内容掲示

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