唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
今は昔
今は昔、せりかといふくるまのありけり。
いま「団塊世代」と呼ばれる人たちが「若者」と呼ばれていた1970年12月に登場し一世を風靡したセリカ(トヨタ)の生産が打ち切られるのだという。
初代セリカは、当初は日産のハコスカそして72年にモデルチェンジした「ケンとメリー」のスカイラインGT(スカG)と共に当時に若者の憧れのクルマであった。この2台のライバルはセリカとほぼ時を同じくして登場した三菱のGTO、75年登場のマツダ・コスモAPと言ったところだっただろうか。いすゞの117クーペとフェアレディZは同世代だけれど高価に過ぎたし、ホンダのS800はセリカ登場の半年前に生産終了となっておりライバルとはならなかった。
1970年12月登場の2ドアクーペも当時は宇宙から舞い降りて来たクルマのようにも見えたけれど、より魅力的なモデルは73年登場のLB2000GT(リフトバック)だったな。このLBがケンとメリーGTとガチンコ勝負となったわけだ。
もっとも当時の貧乏学生(郷秋<Gauche>のことだ)には117クーペやフェアレディZはおろか、セリカやスカGでさえも逆立ちしても手が届くわけもなく、4.5Jの細いホイール(もちろん鉄チン)に無理やり175のタイヤを履かせたモスグリーンのシビックを手に入れるのがささやかな夢であったが、勿論それさえも叶いはしなかった。
まっ、そんなセリカも1999年発売の7代目現行モデルの販売が1,600台(2005年)とはまったく隔世の感であり、生産打ち切りも止む無しというところだろう。1980年台には良きライバルであったシルビアやRX-7、プレリュードも既にカタログから落とされて久しく、70年代から80年台にかけて一世を風靡したスポーティー・カーは完全に過去のものとなったようである。
今日の一枚は、桃と桜そして竹のコラボレーション。
いま「団塊世代」と呼ばれる人たちが「若者」と呼ばれていた1970年12月に登場し一世を風靡したセリカ(トヨタ)の生産が打ち切られるのだという。
初代セリカは、当初は日産のハコスカそして72年にモデルチェンジした「ケンとメリー」のスカイラインGT(スカG)と共に当時に若者の憧れのクルマであった。この2台のライバルはセリカとほぼ時を同じくして登場した三菱のGTO、75年登場のマツダ・コスモAPと言ったところだっただろうか。いすゞの117クーペとフェアレディZは同世代だけれど高価に過ぎたし、ホンダのS800はセリカ登場の半年前に生産終了となっておりライバルとはならなかった。
1970年12月登場の2ドアクーペも当時は宇宙から舞い降りて来たクルマのようにも見えたけれど、より魅力的なモデルは73年登場のLB2000GT(リフトバック)だったな。このLBがケンとメリーGTとガチンコ勝負となったわけだ。
もっとも当時の貧乏学生(郷秋<Gauche>のことだ)には117クーペやフェアレディZはおろか、セリカやスカGでさえも逆立ちしても手が届くわけもなく、4.5Jの細いホイール(もちろん鉄チン)に無理やり175のタイヤを履かせたモスグリーンのシビックを手に入れるのがささやかな夢であったが、勿論それさえも叶いはしなかった。
まっ、そんなセリカも1999年発売の7代目現行モデルの販売が1,600台(2005年)とはまったく隔世の感であり、生産打ち切りも止む無しというところだろう。1980年台には良きライバルであったシルビアやRX-7、プレリュードも既にカタログから落とされて久しく、70年代から80年台にかけて一世を風靡したスポーティー・カーは完全に過去のものとなったようである。
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