goo blog サービス終了のお知らせ 

何を書くか、何を撮るか

 文章の書き方を学ぶ教室が中高年層の男性の人気を集めているのだという。定年を控えた「団塊の世代」を中心に、「人生を振り返り、形に残したい」と、書くことで“自分探し”を試みるのだという。「徹底的な討論で、文章の基本的技術やテーマの見つけ方などが身につく」と好評らしい(詳しくはこちらを参照いただきたい)。

 なんだかなぁ・・・。文章の基本的技術というのは、テクニック(=技術)の問題だな。テクニックは習うも良し、自分で見つけるのも良しだ。自己満足に陥ることなく正しく、的確に相手に伝えるための文章術は、誰かに習うほうがいいかも知れない。でもさ、「テーマの見つけ方などが身につく」ってどういうことよ。

 「テーマの見つけ方が身につく」ということは、「何を書いたらよいのかを見つける力が付く」ということでしょう。習わないと自分が何を書いたらいいのか解らないって、なんだかとっても不思議。書きことがあるけれど、どうかいていいのか解らない、というのはテクニックの問題だ。テクニックは習えばそれなりに身につく。テクニックが身につけば、書きたいことが書けるようになる。

 でもだ、「何を書いたらよいのかを見つける力が付く」って、習うと身につくのか?書きたいけれど、書きたいことが見つからないっていうのが解らないな。

 同じような話が写真の世界にもある。定年後に比較的気軽に始められる趣味として、写真というものがあるらしい。例えばNikonのF6を買った。例えばNikonのD2Xを買った。レンズだって20万円くらいするようなF2.8の明るいズームを広角系、標準系、望遠系と揃えた。100万円コースだ。でも何を撮ればいいのか、自分の撮りたいものが見つからないって、良く聞く話だけれど、なんだかなぁ・・・。

 ごめんなさい。お前の書く文章の意味が解らんぞとか、お前の撮った写真は何を言いたいのかわからんぞとかいうコメントはどうぞお控えくださいな。郷秋<Gauche>の独り言は誰に憚ることなく勝手気ままに、好き勝手に書き散らしてストレスを発散するための場所ですから。

今日の一枚は、新緑のなるせの森
コメント ( 10 ) | Trackback (  )