唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
カレンダー
2006年10月 | ||||||||
日 | 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | ||
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | ||
8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | ||
15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | ||
22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | ||
29 | 30 | 31 | ||||||
|
goo ブログ
過去の記事
メッセージ
カテゴリ
恩田の森(478) |
音楽(248) |
本(143) |
写真 & カメラ(1429) |
ICT, Ai & blog(133) |
F1(565) |
クルマ(352) |
飛行機(236) |
四季折々(1891) |
寺家の森(13) |
食べ物・飲み物(74) |
時事問題(34) |
徒然なるままに(1804) |
アイロニー(24) |
最新の投稿
最新のコメント
郷秋<Gauche>/きょうの新聞より |
月下の走術師/きょうの新聞より |
郷秋<Gauche>/どうなる、日産 |
月下の走術師/どうなる、日産 |
郷秋<Gauche>/一人負け 背水の日産 |
郷秋<Gauche>/一人負け 背水の日産 |
月下の走術師/一人負け 背水の日産 |
郷秋<Gauche>/大雪は落ち葉の季節 |
郷秋<Gauche>/大雪は落ち葉の季節 |
郷秋<Gauche>/ 新幹線は速い! |
最新のトラックバック
ブックマーク
恩田の森Now
郷秋<Gauche>のもう一つのblogです。横浜の市街地に残された小さな里山の四季をご覧ください。
ハーブを使ったお料理教室
Vert éclatant
郷秋<Gauche>が応援する料理研究家、「めぐみ」が主催する小さなお料理教室のblogです。
⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎
以下は郷秋<Gauche>が以前管理運営していたWebsiteです。思い出のためにバナーのみ掲載しておきます。
郷秋<Gauche>のおもちゃ箱
Yoko Hasegawa.com
人気・実力ともNo.1の女性チェリストの公式サイト。ちなみに郷秋<Gauche>が初代Webmaster。 現在のOffical Siteは
http://yoko-hasegawa.com
Gaspar Cassado
20世紀でも最も優れたチェリスト・作曲家のすべてを知ることが出来るサイト。
CRJ Linls
ビジネス・ジェットのようにスマートで小さな旅客機CRJのリンク集。
プロフィール
goo ID | |
gauche7 |
|
性別 | |
都道府県 | |
自己紹介 | |
検索
gooおすすめリンク
URLをメールで送信する | |
(for PC & MOBILE) |
F1 2006年第17戦日本GPを振り返る
圧倒的に有利かと思えたミヒャエルのまさかのエンジンブロウ。思い起こせば第15戦イタリアグランプリではまったく逆のことが起こり、今期は無理かと思えたミヒャエルのチャンピョンシップ獲得をぐっと手繰り寄せたのであった。これでイーブン。シーズン前半に貯金していたアロンソが、ここ鈴鹿で有利な結果を手に入れ最終戦、ブラジルGPに向かうこととなった。
ミヒャエルには8度目のチャンピョンを獲得して引退して欲しいところだが、冷静に考えれば、アロンソが圧倒的に有利だ。今回とは待った逆のことが起きない限りミヒャエルのチャンピョン獲得はありえないのだから。
さて、スーパーアグリ。予選定位置から琢磨がかろうじてモンテイロをかわし15位フィニッシュとなったが、目をつぶってでも走れるはずの鈴鹿、ホンダエンジンそして琢磨のドライビングテクニックを考え合わせればなんとも寂しい結果である。
昨日も書いたようにSAの2006年は、デビューすることにのみにその意味があったとも言える。なぜならば、2007年以降F1エントリーチームに対する厳しい制限が課せられているからである。ならば、参入がかなわない多くのチームのためにも2007年は大いなる飛躍の年としなければならないだろ。
今日の1枚は、好天の昨日撮影した白山谷戸。
ミヒャエルには8度目のチャンピョンを獲得して引退して欲しいところだが、冷静に考えれば、アロンソが圧倒的に有利だ。今回とは待った逆のことが起きない限りミヒャエルのチャンピョン獲得はありえないのだから。
さて、スーパーアグリ。予選定位置から琢磨がかろうじてモンテイロをかわし15位フィニッシュとなったが、目をつぶってでも走れるはずの鈴鹿、ホンダエンジンそして琢磨のドライビングテクニックを考え合わせればなんとも寂しい結果である。
昨日も書いたようにSAの2006年は、デビューすることにのみにその意味があったとも言える。なぜならば、2007年以降F1エントリーチームに対する厳しい制限が課せられているからである。ならば、参入がかなわない多くのチームのためにも2007年は大いなる飛躍の年としなければならないだろ。
コメント ( 6 ) | Trackback ( )