唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
八木・宇多アンテナ
日本ビクターが開発したVHSビデオデッキが、電気電子技術分野の発展に貢献した歴史的業績だとして「IEEE(電気電子技術者学会)マイルストーン」に認定された。
VHSはご存知の通り、今から30年前の1976年に日本ビクター発表したカセット方式のテープを記録媒体とした家庭用のビデオデッキである。VHSの登場以前はオープンリール方式のビデオ装置があったが、一般家庭で利用するような代物ではなかった。ちなみに中学生当時の郷秋<Gauche>はオープンリール方式のビデオ装置の操作をクラスで唯一許され、理科担当の先生から「ビデオ装置操作技師」として任命されていた。VHSデッキならば自動的に回転ヘッドに巻きつけてくれるテープを手で巻きつけて巻き取り側のリールに挿む係りなのであった。
さて、VHSの登場にやや遅れてソニーが発表したベータマックスとの規格争いを制して家庭用ビデオの標準となったVHSだが、この争いは「ビデオ戦争」とまで言われたもので、敗れたソニー陣営(とユーザー)は実に悔しい思いをしたものであった。
元へ。今日、書きたかったのはビデオデッキの話ではなかった。VHSが「IEEEマイルストーン」に認定される以前に日本のオリジナル技術として「IEEEマイルストーン」に認定された製品及びシステムが5件もあったという(世界では74件)ことを書きたかったのである。
その5件とは、八木アンテナ、富士山頂レーダー、東海道新幹線、セイコーのクオーツ時計、シャープの電卓だということだが、郷秋<Gauche>は今回のVHSについての報道で初めて知った。富士山頂レーダー以降は知らない方もいないほど有名なものであるが、「八木アンテナ」をご存知の方は、多くないかも知れない。
この「八木アンテナ」、正確には「八木・宇多アンテナ」といい、1925年に東北帝国大学(現東北大学工学部)の八木秀次博士が宇多新太郎博士とともに発明したもので、このアンテナ、実は誰でもが目にしているものなのである。
漫画に出てくる魚の骨のような形をしたアンテナで、ようするに家庭用のテレビ放送やFM放送受信用のアンテナである(勿論送信用にも使われる。ただし不特定多数が受信する放送のための送信には不適で、一般的には通信用として利用される)。
八木・宇田アンテナは当時の日本の学会・産業界ではほとんど注目されなかったが、欧米ではいち早くこのアンテナ理論に着目し、この技術を利用しレーダーを開発した。1942年、旧日本軍がイギリスの植民地だったシンガポールに侵攻した際に捕虜としたイギリス兵が持っていた技術書の中に“Yagi”という文字を見つけ、「これは何だ」と問うたところ「日本人のお前が知らないのか」と指摘され双方が驚いたと言う逸話が残されている。
利用する電波の波長の1/2の長さの輻射器(この部分にのみ電波を供給する)の前に輻射器よりもやや短い導波器を数本から十数本を1/4波長程度の間隔で並べ、輻射器の後ろにはこれよりもやや長い反射器をやはり1/4波長程度の間隔で置くのが八木・宇田アンテナ一般的な構造である。
この形式によりアンテナは反射器から導波器の方向への鋭い指向性を持ち、その方向に対してより強い電波を発射する。受信時には前方以外からの信号やノイズが軽減され、また送信時にはより少ない電力で遠くまで電波を飛ばすことが出来るという、大変優れたアンテナなのである。現在は実に多くの種類のアンテナが存在するが、その多くは八木・宇多アンテナアンテナの原理を応用、発展させたものなのである。
そんなわけで、八木・宇多アンテナは、電気通信技術領域での発明として、おそらくは片手に入る程の偉大な発明であり、「IEEEマイルストーン」に選定されていることは当然のことである。日本人としては大いに誇るべきことなのである
今日の1枚は、なるせの森の尾根道。春夏秋冬、晴れで雨でも、その日毎に違った表情を見せてくれる尾根道。いつまででも佇んでいたい懐かしい道。
VHSはご存知の通り、今から30年前の1976年に日本ビクター発表したカセット方式のテープを記録媒体とした家庭用のビデオデッキである。VHSの登場以前はオープンリール方式のビデオ装置があったが、一般家庭で利用するような代物ではなかった。ちなみに中学生当時の郷秋<Gauche>はオープンリール方式のビデオ装置の操作をクラスで唯一許され、理科担当の先生から「ビデオ装置操作技師」として任命されていた。VHSデッキならば自動的に回転ヘッドに巻きつけてくれるテープを手で巻きつけて巻き取り側のリールに挿む係りなのであった。
さて、VHSの登場にやや遅れてソニーが発表したベータマックスとの規格争いを制して家庭用ビデオの標準となったVHSだが、この争いは「ビデオ戦争」とまで言われたもので、敗れたソニー陣営(とユーザー)は実に悔しい思いをしたものであった。
元へ。今日、書きたかったのはビデオデッキの話ではなかった。VHSが「IEEEマイルストーン」に認定される以前に日本のオリジナル技術として「IEEEマイルストーン」に認定された製品及びシステムが5件もあったという(世界では74件)ことを書きたかったのである。
その5件とは、八木アンテナ、富士山頂レーダー、東海道新幹線、セイコーのクオーツ時計、シャープの電卓だということだが、郷秋<Gauche>は今回のVHSについての報道で初めて知った。富士山頂レーダー以降は知らない方もいないほど有名なものであるが、「八木アンテナ」をご存知の方は、多くないかも知れない。
この「八木アンテナ」、正確には「八木・宇多アンテナ」といい、1925年に東北帝国大学(現東北大学工学部)の八木秀次博士が宇多新太郎博士とともに発明したもので、このアンテナ、実は誰でもが目にしているものなのである。
漫画に出てくる魚の骨のような形をしたアンテナで、ようするに家庭用のテレビ放送やFM放送受信用のアンテナである(勿論送信用にも使われる。ただし不特定多数が受信する放送のための送信には不適で、一般的には通信用として利用される)。
八木・宇田アンテナは当時の日本の学会・産業界ではほとんど注目されなかったが、欧米ではいち早くこのアンテナ理論に着目し、この技術を利用しレーダーを開発した。1942年、旧日本軍がイギリスの植民地だったシンガポールに侵攻した際に捕虜としたイギリス兵が持っていた技術書の中に“Yagi”という文字を見つけ、「これは何だ」と問うたところ「日本人のお前が知らないのか」と指摘され双方が驚いたと言う逸話が残されている。
利用する電波の波長の1/2の長さの輻射器(この部分にのみ電波を供給する)の前に輻射器よりもやや短い導波器を数本から十数本を1/4波長程度の間隔で並べ、輻射器の後ろにはこれよりもやや長い反射器をやはり1/4波長程度の間隔で置くのが八木・宇田アンテナ一般的な構造である。
この形式によりアンテナは反射器から導波器の方向への鋭い指向性を持ち、その方向に対してより強い電波を発射する。受信時には前方以外からの信号やノイズが軽減され、また送信時にはより少ない電力で遠くまで電波を飛ばすことが出来るという、大変優れたアンテナなのである。現在は実に多くの種類のアンテナが存在するが、その多くは八木・宇多アンテナアンテナの原理を応用、発展させたものなのである。
そんなわけで、八木・宇多アンテナは、電気通信技術領域での発明として、おそらくは片手に入る程の偉大な発明であり、「IEEEマイルストーン」に選定されていることは当然のことである。日本人としては大いに誇るべきことなのである
今日の1枚は、なるせの森の尾根道。春夏秋冬、晴れで雨でも、その日毎に違った表情を見せてくれる尾根道。いつまででも佇んでいたい懐かしい道。
コメント ( 4 ) | Trackback ( )