唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
ホンダがF1撤退(第三報)
F1 2008年シーズンも終わり、例えばgoo blogで4日に書かれたF1に関する記事は11件と、まさしく静かなオフシーズンであったというのに5日には40件に急増。普段はF1の記事など掲載しない新聞やメディアまでもがホンダのF1撤退を書き立てている。ただし多くの記事は、利益を生み出さない事業を切り捨てなければならないほど自動車各社の置かれた環境が厳しいことを報道しているのであって、受難の季節が訪れたモータースポーツ界を心配しているのではない。勘違いしないように。
さて、郷秋<Gauche>が愛読する神奈川新聞もまたホンダのF1撤退を記事にしている。本文は4面にアメリカのビッグ3の破綻回避問題やトヨタがこの時期にカナダ・オンタリオ州の新工場での生産を開始した記事などと共に掲載されている。今日の神奈川新聞4面は、自動車特集である。
だがしかし、モータースポーツの記事など書いたことのない神奈川新聞はやはりと云うべきか、馬脚を現してしまった。「ホンダF1撤退」の白抜き見出しの下には何故かSAF1の写真。幸い「ホンダがエンジンを提供したスーパーアグリ・ホンダの佐藤琢磨」とのキャプションが付いてはいるが、なかなかお間抜けな写真掲載である。
神奈川新聞はこの記事に相当の思い入れがあるらしく、1面最上段の「今日のお勧め記事」紹介欄にも「ホンダが撤退、景気悪化が直撃」との見出しと共に雨のレースを走るSAF1の写真を掲載している。何だかなぁ・・・。
まったく神奈川新聞は、やっぱり神奈川新聞だよと思いながら、記事の面で提携関係にあるらしい朝日新聞のことが気になったので確認したけれど良かったぞ、朝日。朝日は2面の「時々刻々」の半分ほどを割いて詳細な記事を掲載している。写真は2006年鈴鹿でのレースでフェラーリの2台を先頭に1コーナーに各車がなだれ込む写真であった。
神奈川新聞の記事がまったくダメであったかと云えば決してそんなことはなく、彼らの名誉の為に書いておくならば、「『今でもやりたいという気持ちはあるが、環境が許さなかった』。ホンダの福井威夫社長は(中略)モータースポーツ担当の役員を経験してきただけに、悔しさは隠しきれなかった。」「ホンダはF1に費用対効果を求めていたわけではなかった。参戦の理由を聞けば、社長から新入社員まで『ホンダのDNAだから』と答える。」など、それなりの記事ではある。
さて、気になるのはホンダがいつ帰ってくるのかということである。ホンダは必ずF1に帰ってくると信じたい郷秋<Gauche>であるが、ホンダの復帰がいつなのか推し量るためのデータを記しておきたい。
1964年 第1期F1参戦
1968年 第1期F1撤退(活動期間5年)
1983年 第2期F1参戦(15年振り、エンジンのみ供給)
1992年 第2期F1撤退(活動期間9年)
2000年 第3期F1参戦(8年振り、活動期間9年。当初6年間エンジン供給のみ)
2008年 第3期F1撤退
注目すべきは撤退後再参戦までの年数である。最初のカムバックまでは15年を要したが次は8年でカムバック。さらに6年後にはチームとして参戦している。と云うことは、次は4年後にカムバックじゃないのかな?第2期撤退後も研究所の奥深くで密かにF1マシンを作っていたホンダのこと、きっと研究は続行し早い時期にカムバックしてくれるものと大いに期待したい。
注:F1におけるコントロールエンジン使用など、メーカー系チームについては参戦しにくい状況が見え隠れしていることについては追って書きたいと思っている。
郷秋<Gauche>が書いたホンダF1撤退に関する記事
ホンダのF1撤退は近い?2008年11月22日掲載
注:この記事が、郷秋<Gauche>には予知能力があるのではないかと騒がれた、あるいは、お前がこう云う不吉な記事を書いたのがいけないのだと叩かれた記事。
ホンダがF1撤退?!(第一報)2008年12月5日早朝掲載
ホンダがF1撤退(第二報)2008年12月5日掲載
ホンダがF1撤退(第三報)2008年12月6日掲載
例によって記事本体とは何の関係もない今日の一枚は、北緯35″20.305′、東経139″32.911′、つまり鎌倉は円覚寺、方丈庭園で撮影したものということですな。どうしてこんなことがわかるのか不思議だと云う方はどうぞこちらをご覧くださいませ>。
さて、郷秋<Gauche>が愛読する神奈川新聞もまたホンダのF1撤退を記事にしている。本文は4面にアメリカのビッグ3の破綻回避問題やトヨタがこの時期にカナダ・オンタリオ州の新工場での生産を開始した記事などと共に掲載されている。今日の神奈川新聞4面は、自動車特集である。
だがしかし、モータースポーツの記事など書いたことのない神奈川新聞はやはりと云うべきか、馬脚を現してしまった。「ホンダF1撤退」の白抜き見出しの下には何故かSAF1の写真。幸い「ホンダがエンジンを提供したスーパーアグリ・ホンダの佐藤琢磨」とのキャプションが付いてはいるが、なかなかお間抜けな写真掲載である。
神奈川新聞はこの記事に相当の思い入れがあるらしく、1面最上段の「今日のお勧め記事」紹介欄にも「ホンダが撤退、景気悪化が直撃」との見出しと共に雨のレースを走るSAF1の写真を掲載している。何だかなぁ・・・。
まったく神奈川新聞は、やっぱり神奈川新聞だよと思いながら、記事の面で提携関係にあるらしい朝日新聞のことが気になったので確認したけれど良かったぞ、朝日。朝日は2面の「時々刻々」の半分ほどを割いて詳細な記事を掲載している。写真は2006年鈴鹿でのレースでフェラーリの2台を先頭に1コーナーに各車がなだれ込む写真であった。
神奈川新聞の記事がまったくダメであったかと云えば決してそんなことはなく、彼らの名誉の為に書いておくならば、「『今でもやりたいという気持ちはあるが、環境が許さなかった』。ホンダの福井威夫社長は(中略)モータースポーツ担当の役員を経験してきただけに、悔しさは隠しきれなかった。」「ホンダはF1に費用対効果を求めていたわけではなかった。参戦の理由を聞けば、社長から新入社員まで『ホンダのDNAだから』と答える。」など、それなりの記事ではある。
さて、気になるのはホンダがいつ帰ってくるのかということである。ホンダは必ずF1に帰ってくると信じたい郷秋<Gauche>であるが、ホンダの復帰がいつなのか推し量るためのデータを記しておきたい。
1964年 第1期F1参戦
1968年 第1期F1撤退(活動期間5年)
1983年 第2期F1参戦(15年振り、エンジンのみ供給)
1992年 第2期F1撤退(活動期間9年)
2000年 第3期F1参戦(8年振り、活動期間9年。当初6年間エンジン供給のみ)
2008年 第3期F1撤退
注目すべきは撤退後再参戦までの年数である。最初のカムバックまでは15年を要したが次は8年でカムバック。さらに6年後にはチームとして参戦している。と云うことは、次は4年後にカムバックじゃないのかな?第2期撤退後も研究所の奥深くで密かにF1マシンを作っていたホンダのこと、きっと研究は続行し早い時期にカムバックしてくれるものと大いに期待したい。
注:F1におけるコントロールエンジン使用など、メーカー系チームについては参戦しにくい状況が見え隠れしていることについては追って書きたいと思っている。
郷秋<Gauche>が書いたホンダF1撤退に関する記事
ホンダのF1撤退は近い?2008年11月22日掲載
注:この記事が、郷秋<Gauche>には予知能力があるのではないかと騒がれた、あるいは、お前がこう云う不吉な記事を書いたのがいけないのだと叩かれた記事。
ホンダがF1撤退?!(第一報)2008年12月5日早朝掲載
ホンダがF1撤退(第二報)2008年12月5日掲載
ホンダがF1撤退(第三報)2008年12月6日掲載
![]() |
![]() |
例によって記事本体とは何の関係もない今日の一枚は、北緯35″20.305′、東経139″32.911′、つまり鎌倉は円覚寺、方丈庭園で撮影したものということですな。どうしてこんなことがわかるのか不思議だと云う方はどうぞこちらをご覧くださいませ>。
コメント ( 2 ) | Trackback ( )