恩田の森、更新

 本日、恩田の森で撮影いたしました写真をこちらに掲載しておりますので、ぜひご覧ください。
恩田Now 
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カメラは孫子の代まで使う?

 先週、横浜まで出かけた帰りに(郷秋<Gauche>の自宅だって横浜だけれど山の中。ここで云う横浜は港の近くのこと)寄った書店で「カメラは知的な遊びなのだ。」(田中長徳著、アスキー新書)を買った。読んでいるうちに前にもどこかで読んだような気がしてきたので書棚を見たら同じ本があった。やられた。

 奥付を見ると以前に買ったのは2008年3月発行の初版本で、今回「買ってしまった」のは2009年3月発行の6刷である。一度に何部刷っているのか知らないが初版から一年で5回も増刷している。図らずも田中長徳氏の印税収入に協力してしまった郷秋<Gauche>である。悔しいのでblogの「ネタ」にしてやる。

 この本の中で田中氏は「だいたい大昔はカメラって一家に1台、それを孫子の代にわたって使うというのが普通だった」(p.68)と書いているが、はっきり云って、これは嘘である。そもそも「大昔」っていつのことなのか書いていない文章そのものが「インチキ」であると、郷秋<Gauche>は思う。

 大昔と云われれば郷秋<Gauche>は少なくとも数百年前を想像するが、そんな昔に勿論カメラはなかった。ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールが発明した「ダゲレオタイプ」を最初のカメラとするならば、その登場は1839年である。勿論「ダゲレオタイプ」を孫子の代まで使ったなんて話は聞いたことがない。勿論確かめた事はないが常識的に考えてありえないだろう。

 ライカA型の登場が1925年、ローライフレックスが登場したのは1929年だが、この辺りの事を田中氏が「大昔」と云っているのだとしたら、子の代は1960年頃になるわけで、確かに「子」が使った可能性はあるかも知れないが、孫の代となると1990年代となるから、これはもうライカA型やローライフレックスの出番はなかっただろう。

 あるいは、今でも信奉者が少なくないライカM3が登場した1954年を大昔と云うならば、子が使うのは1980年代であり、今がまさに孫の時代に当たるから、確かに孫が使っている可能性はある。しかしだ、そもそも「だいたい大昔はカメラって一家に1台」と云う件に間違いがある。少なくとも日本の一般的な家庭でカメラが買えるようになったのは1950年代であるが、それにしたって「一家に1台」と云うほど普及はしていなかったはずだ。

 先にも書いたように同時代のライカなら今でも十分実用に供することは出来るが、当時の一般的なサラリーマンが買う事が出来たのはせいぜいリコーフレックスあたりだと思う。現在これを実用に供している人はいないに等しいだろう。

 田中氏が書いた「だいたい大昔はカメラって一家に1台、それを孫子の代にわたって使うというのが普通だった」には3つの嘘がある。

 まず一番の嘘は「大昔」がいったいつのことなのか特定していないこと。二つ目が「大昔はカメラって一家に1台」。「大昔」、家にカメラがあったのは特別裕福な家庭だけでであった。「大昔」を1940年代と仮定した場合、写真は街の写真館さんで撮ってもらうものであり、一般的な家庭にカメラはなかった。三つ目は、1940年代のカメラで20世紀にも実用になるカメラはほとんどない、と云うことである。

 辛うじて1950年代に登場したライカM3やニコンFは現在でも実用に供する事が可能だが、しかしそれは写真とカメラに特別な興味のある人がすることであり、日本人の誰もがする一般的なことではない。M3やFが孫の代まで使うことが可能な優秀なカメラではあることは間違いないけれど、「普通だった」と云えるような一般的なことではないこともまた間違いない。

 田中長徳氏が書いた「だいたい大昔はカメラって一家に1台、それを孫子の代にわたって使うというのが普通だった」は大嘘であると、郷秋<Gauche>は云いたい。


 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、一週間前にもご覧頂いた「雪の下」をちょっと違った感じで。
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