またぞろニコンの噂

 Nikon Rumors にまたまた気になる「噂」が掲載された。一つは「怪しげ」なD4の写真。D3に比して全体的に角張った印象(特に向かって右下)だが、総じてD3S&Xの正常進化と云うか、見た目上はほとんど変わっていない。Nikon SLRの外観は1996年に登場したF5が完成形であり、もはや変わりようも無いということなのだろうか。

 Nikon(ニコン)の新しいフラッグシップに興味がないわけでは勿論ないが、如何せん高価すぎて郷秋<Gauche>の「FX」の選択肢に入らないからどうでも良いと云えばどうでも良いのだが、「D700の後継は高速かつ高感度のSと高画素のXに分化し、その登場は2011年3月以降になる」との情報には反応しないわけには行かない。

 D3のようにSとXの2系列に分化するのはともかく、2011年3月以前には登場しないというのはその真偽の判断は難しい。ニコンが絶対的な高性能を目指し、対キヤノン対策を織り込んで総力を挙げ開発に取リ組んでいるから時間を要すると云うのは理解できるが、余りに時間をかけ過ぎたために永年のファンをキヤノンに奪われるという事態も十分に考えられる。この当たりをニコンはどう考えているんだろう。

 より新しいDSLRを使えばより自然に近い色で、より高解像で、よりノイズの少ない写真を撮る事が出来るようになるが、それは良い写真と同義ではない。時として私たちは、勘違いしがちであるが、良い写真の最大の条件はテーマが明確かつ的確に表現されていることであり、その要素としては最も重要なものがシャッターチャンス(注)。さらに適切なレンズ(パースペクティブ)の選択と、フレーミング、そして露出である。

注:シャッターチャンスは一瞬のタイミングだけではなく、一見動きがないようにも思える風景写真においても重要な要素である事に代わりはない。例えば太陽と雲の位置関係、人物を点景として入れる場合にはそのタイミング(位置や人数、男女の別)など数分、数十分、数時間単位でのシャッターチャンスが存在する。

 最後に書いた露出に決定についてはある程度カメラの機能に依存することがあるが、シャッターチャンス、レンズの選択、フレーミングはいずれも撮影者が自身の判断で行うものであり、云うまでもなくカメラの機能とは何の関係もない。

 しかしなぜ写真家あるいは写真愛好家がより高性能(それは高価であることと同義である)を求めるのかと云えば、自分が「弘法」ではないことを知っているから、あるいは自分の写真が拙いのは自分に問題があるのではなく使っているカメラに問題があるからだと誤解しているかのどちらかである。

 自分が弘法ではないことを自覚している写真愛好家は、せめて「筆を選ぼう」としているのである。この場合にはより高性能なカメラを使うことによりより良い写真に近づく、云ってみれば「筆を選ばない」弘法に多少なりとも近づく事が出来るが、自分の写真が拙いのはカメラのせいであると誤解している人の場合には、いくら高価なカメラを使ってもその写真が良くなることはない。

 本当に上手い人は、実はこれ以上ないと云うくらいの高性能かつ高価なカメラを持っているのにあえて素人が使うようなカメラで撮ったりする。「弘法筆を選ばず」とは良く云ったもので、プロフェッショナル、アマチュアを問わずホントに上手い人はしょぼいカメラを使っても良い写真を撮るのである。郷秋<Gauche>も早くしょぼいカメラを持ち歩けるようになりたいものである。


 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、田植えの終わったばかりの田んぼで啄ばむ鴨。しかし、どうして鴨はいつもいつも「つがい」でいるんだろう。仲がいいのか単なる習性なのか。
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