田中長徳氏は勘違いしている

 田中長徳氏が書いた「カメラに訊け!」(ちくま新書、2009年3月10日第1刷発行)を読んだ。この中で田中氏は、郷秋<Gauche>的に超訳すると「デジタルカメラはホンの1、2年でモデルチェンジするから信用ならんしけしからん。それに引き換え自分のライカは誕生以来50年以上になるのにいまだに現役で使う事ができる。カメラと云えばライカ。デジタルカメラは無論のこと、ライカ以外のカメラは『糞』である」と書いている。しかしだ、田中長徳氏ともあろうお方が、大きな間違いを犯しているぞ。

 写真技法は1837年にルイ・ジャック・マンデ・ダゲールにより発明されている(フランス学士院で発表されたのは1839年だが、その2年前で自作の「ダゲレオタイプ」で撮影に成功している)。「ダゲレオタイプ」と呼ばれるそれは世界最初の実用的写真技法であったが、銀メッキをした銅板などを感光材料として使用し露光(露出)時間も数十分と長いなど、撮影することでネガフィルムを作り、そのネガフィルムからプリントを得ると云う、現代の写真技法とは大きな隔たりがある。

 1837年以来、多くの人のたゆまぬ努力によって、(35mmフィルムを使う)現在のカメラの直接の先祖と云っていいUr Leica (ウル・ライカ)が登場するのが1914年、21世紀の現在でも実用に供しえるM3の登場が1954年、田中長徳氏の愛器、M2(M3の廉価版。番号は若いが発売は後)の登場が1958年である。

 つまりだ、田中氏のM2はダゲレオタイプの発明から何と121年もの間、改良に改良を重ねた結果の、35mmフィルムとレンジファインダーを使うカメラとしては完成形であり、その後はそれ以上のカメラは登場していない(時代はNikon Fなどの一眼レフに移りレンジファインダーは顧みられなくなったのが実態)。戦前のライカは日本では「家一軒」と云われる程高価。高価かつ高品質(機械としての工作精度が高い)だったからこそ今でも使えるのである。

 デジタルカメラはと云えば、コダックが世界最初のデジタルカメラを開発(原理の発明)したのが1975年、最初に市販されたデジタルカメラとなったFUJIX DS-1P(現富士フイルム)の登場が1988年、実用に供せる事を世に親しめることとなったデジタルカメラであるカシオQV-10の登場が1995年、ニコンD3S&Xの先祖、D1が発売されたのが1999年。デジタルカメラの出現以来わずか22年。より現実的かつ実用的なカメラの登場からは10~15年しか経っていないのである。つまり、デジタルカメラは進化の途上にあるのだから、改良型が1年と云わず半年毎に登場するのも当然のことである。

 もう一度繰り返す。Leica M3は一世紀以上の時間をかけて進化してきたレンジファインダーカメラの完成形であり、田中氏が愛でるM2が登場した1958年に、ダゲレオタイプを愛用していた写真家もしくは写真愛好家は(ダゲレオタイプの愛好家を除けば)皆無であったと断言できる。同時に、発展途上にあるデジタルカメラにおいては現時点の最高峰であるD3SとD3Xがプロ用機材として使われているが、1、2年の後により高機能・高画質なD4シリーズが登場すれば、最先端のプロは当然のこととして挙ってD4に買い換えることになる。これが完成された(あるいは進化から取り残された)カメラと進化途上のカメラの違いである。

 50年前に既に技術的に完成されカメラと現在進化の途上にあるデジタルカメラとを比較して、Leicaは素晴らしい、デジタルカメラは「怪しからん」と云う田中氏の時代感覚、取り分け科学史的な感覚を郷秋<Gauche>は疑わざるを得ない。もっとも氏はそんなことは先刻承知の上であえて「Leicaは素晴らし、デジタルカメラは怪しからん」と書くことで耳目を集め自著の売上げを伸ばそうとしている確信犯なのである。大したものだぞ、田中長徳。
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写真展出品作品紹介(1)

 現在、相模原市南区某所で開催しております写真展に出展しておるます作品をご紹介いたします。全4点の内、今日はその初回です。


タイトル:主計町夕景
撮影場所:金沢市
カメラ:Nikon D40X
レンズ:AF-S DX VR ZOOM-Nikkor ED 18-200mm F3.5-5.6G(IF)

 3年前の10月初めに急に思い立って金沢を訪れた時に撮影したもので、金沢市内を流れる二本の川のうち「女川」と呼ばれる浅野川西岸にある主計町(かずえまち)茶屋街の夕景。観光客の歩く川沿いの道はまた、街に住む人々の生活の道でもあるのです。
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