唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
詰め襟をセーラー服に仕立て直す
神奈川新聞「相模原・県央」のページで、昨日から「上溝高校100年の歩み」と云う記事が連載になっているが、今日の記事に、原菊江さん(78歳)が語った終戦直後の様子として、こんな話gさ掲載されていた。「物資不足から、裁縫が得意な近所のお姉さんに、兄のお下がりの詰め襟を仕立て直してもらったセーラー服で(旧制女学校に)通った。」
詰め襟の学生服をどう仕立て直すとセーラー服になるのか、郷秋<Gauche>にはまったく想像もつかないが、出来たのだろう。詰め襟の学生服をセーラー服に仕立て直す技にも驚くが、「兄のお下がりの詰め襟」は、既に旧制中学5年間着古したもののはず。それを更に仕立て直して着たと云うのだから、物持ちの良さにも驚く。
しかし、郷秋<Gauche>だって子供時代の事を思い出してみると、着古して小さくなったセーターを洗ってほどいて、毛糸をまっすぐに伸ばすために巻いて毛糸玉を作るのを面白がって手伝ったものだった。小さくなってもう着られなくなってしまったけれど、お気に入りだったセーターがほどかれて「ただの」毛糸になってしまう時の何とも切ない気持ちを、いまでも思い出すことができる。
セーター程度々ではなかったけれど、ほどいた浴衣を洗って、また生地として使えるように伸ばすための洗い張りも何度か見た気がする。工作に使う為に切ってしまった後で、何の為の板だったのか、母に聞かされた。既に使うこともなくなっていたので叱られこそしなかったが、大切な、そして数少ない嫁入り道具の一つだったのだと聞かされた記憶がある。
例えば、ペットボトルがリサイクルされて新しい製品に生まれ変わることも勿論大切だが、そのためには相当のエネルギーが費やされているであろうことを考えると、着古した制服をリフォームして更に利用する、小さくなってしまったセーター二着をほどいて新しいセーターを一着編む、大人の浴衣をほどいて子供の浴衣を二着作るようなリサイクルこそが最も効率が良いのだろうと思うのだが、そんなことはもう望みようもない時代となってしまったのだろうな。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、晩秋(昨日が立冬だったから、暦の上では既に「冬」だが、南関東の実季節感からすると、これから11月までが晩秋と云って良いだろう)の北鎌倉、東慶寺境内に佇むお地蔵様。和辻哲郎、西田幾多郎、小林英雄の墓が東慶寺にあったとはいま知った、いかにも迂闊な郷秋<Gauche>である。