唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
郷秋<Gauche>はカメラが好き?
来る日も来る日も駄文を書いていることに呆れられることがあるが、これは呆れるに値しない。来る日も来る日もテレビの前に陣取りテレビの画面を眺めている人だって少なくないはずだ。郷秋<Gauche>の場合にはテレビを見ない(眺めない)代わりに駄文を書いているだけであり、興味の方向性が少し違うだけの話である。
来る日も来る日も駄文を書き続け、しかもその多くがカメラにまつわる話なものだから、「郷秋<Gauche>さんって、カメラが好きなんですね!」とか「カメラが趣味なんですか?」と聞かれることがあるが、これは断じて違う。郷秋<Gauche>はカメラが好きなのでも趣味なのでもない。郷秋<Gauche>は写真を撮るのが、あるいは写真を通して「何か」を表現するのが好きなのであり、重ねて言うがカメラが好きな訳ではない。
良い演奏をしようと思えば良い楽器が必要であり、良い字を書こうとすれば良い筆が必要となる。飛び切り良い楽器でなくても魂を振わせる演奏うすることが出来たり、紙の上から躍り出んばかりの字を書くことが出来るのは特別な才能がある人だけの話。これを称して「弘法筆を選ばす」と云う。
弘法だから、弘法のような演奏家だから良くない筆でも、良く無い楽器でも良い文字を書き、良い演奏をすることが出来るのだ。だから、弘法ではない郷秋<Gauche>が少しでも良い写真を撮るためには少しでも良い道具、そう、少しでも良いカメラ、良いレンズが必要になるのだ。だから郷秋<Gauche>は少しでも(安くて)良いカメラ・レンズを求めて常に新製品情報に目を凝らしているのである。その結果「普通の人」よりも少しばかりカメラに詳しくなっただけの話である。
三度も同じことを繰り返すのは、自ら駄文であることを証明するようなものだが、それでも書いておきたい。郷秋<Gauche>はカメラが好きなのではない。少しでも良い写真を撮るために足らざる腕を補ってくれるより良い道具、より良いカメラが欲しいだけなのである。
と、自己弁護の駄文を書き連ねた今日の一枚は、本文とは何の関係もない、近所のお宅の擁壁に這う蔓姫蕎麦(つるひめそば)。昨日に続いて「ポスタリゼーション」でいじった絵です。えっ、どうしてそんなに自己弁護する必要があるんだって? ほら、もうすぐ棒と茄子の季節ですよね。予め、防御線。誰に? 勿論自分に(^^;