今の方が良いかも知れない

 18日に「『昔は良かった』と言うけれど」(以下、「昔」)と云う本を読んでいることを書きました。そして26日には東京国立博物館で開催している「京都 洛中洛外図と障壁画の美」を見て来たことを書きましたが、どうもこの二つが繋がるのです。

 重要文化財に指定され、中でも当時の風俗を緻密に描いたことで知られる「洛中洛外図屏風 舟木本」(以下、舟木本)には四季折々の民衆の生活の様子が描かれておりますが、郷秋<Gauche>が面白いと思ったのが、花見の様子です。平安時代に花見と云えば梅の花を見る事であったのですが、これが描かれた(多分)江戸時代初期には「花見=桜」と云う図式が定着していたことを伺い知ることが出来ます。

 さて、その「舟木本」に描かれた花見の様子はと云えば、飲み過ぎて一人では歩けず同僚に両側を支えられて行くオヤジ、手折った桜の枝を両手に掲げて浮かれはしゃぐ若者。その花見の場は、描かれてこそいませんが、食べ散らかたゴミが散乱していたであろうことが容易に想像がつくのです。

 何故かと云えば、「昔」に、戦前(太平洋戦争前の意)の東京・飛鳥山公園での花見の様子が次のように書かれているからです。
 「(前略)公園の入口に来た時、何ともいえない異様な臭気に胸がいっぱいになった。そればかりではない。見渡す限りの紙くずはたいしたものだ。(中略)ミカンの皮などの上へ醜態極まりない酔いどれが正体もなくゴロゴロと塵にまみれて寝ていた」(東京朝日新聞・1930年4月8日付)。花見の季節に枝を折られた無残な姿の桜の木が残されていたことも別位紹介されています。

 もっとも「これではいかん」と思う人も少なくない訳で、「昔」には心ある方の「このような事ではいけませぬ」と云う新聞への投書が多数紹介されている。「このような事ではいけませぬ」と云う投書の裏を変えせば、「このような事」がまかり通っていたと云う事にもなる訳です。まさに300年前の「舟木本」当時と同じ状況です。

 で、現在はどうかと云えば、桜の枝をへし折って得意顔の若者はまずおりません(いるとすれば妙齢のご婦人であったりします)。ゴミにしても持ち帰りがもはや常識になっておりますし、ゴミ山の中心にはゴミの回収が追い付かないゴミ箱があるなど、少なくとも食いっ散らかしてそのまま失敬、と云う事は少ないように思えるのです。どうやら「昔」の著者、大倉幸弘氏が意図したように、マナーやモラルに関して「昔はよかった」と云うのは幻想であり、おそらく、多分、ほぼ間違いなく、現代の方がマナーやモラルが守られ徹底していると云えそうです。


 例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、晩秋の最後の輝き。

Website「恩田の森Now」
 本日撮影した写真を明日掲載の予定です。好天であったからでしょうか、まだ晩秋のカケラの残る森の様子をお楽しみに。
http://blog.goo.ne.jp/ondanomori/

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