goo blog サービス終了のお知らせ 

大佛次郎とサン・テグジュペリ

 一週間前に、向こう一年間、神奈川新聞に大佛次郎の随筆が掲載されると書いたが、今日はその第二回目が掲載された。タイトルは「敵視、軽蔑、憎悪が人間の生活を悪くする」。1969年1月に掲載された随筆だが、46年前にまるで2015年のこの世界で起こっていることを見透かしたような内容であるのに驚く。この随筆をまさに今日、掲載しようと神奈川新聞の担当者が考えたのだとすれば、それもまた大したことではある。

 大佛はヴェトナム戦争語り、チエホフの「生まれてきた人間のひとりひとりが、一本ずつ花の木を植えることにしたら、未来の地球はどんなに美しくなるだろうか」を紹介した後に続けてこう語る。

 「(前略)自分だけが正しいと信じて、他人が同じ意見にならないと敵視したり軽蔑したり憎悪したりする人間の習癖が、一番人間の生活を悪くする。ナンセンスと一言で相手の言い分を否定する思い上がりを人間に許してはならない。これは意見ではなく暴力なのである」。 更に大佛は「飛行家で文士であったサン・テグジュペリの言葉を聴こう。」と続ける。

 「なるほど、君と僕とは意見が違う。それでよいのだ。それだからお互いに、ゆたかな考え方が出来るように成るのだ。」

 大佛次郎とサン・テグジュペリ、云っていることは同じ。憎悪からは憎悪しか生まれないのだ。大佛次郎がサン・テグジュペリの言葉を引くとはまったく意外であるのだが、考えてもみれば、実は同時代を生きた二人なのである(サン・テグジュペリが3年遅く生まれ29年早く没している)。

 今日の神奈川新聞はイスラム過激派がフランスで引き起こした事件について詳しく報道、また解説と関連記事を掲載しているが、備忘の為にその中から次の二つの言葉を引いて今日の小文を閉じたい。

 「文化の多様性の時代に、ヨーロッパ的価値観の絶対優位は揺らいでいる。多様な価値をどのように共存させていくのか。それにはグローバルな視野から『対話』を重ねていくしかない。テロをやめさせるにはその根底にある社会・文化的価値観の協調が不可欠である」(東京外語大学 渡辺啓貴教授)

 「誰かがムハマンドの風刺画を描いたとしても、銃ではなくペンで応じなければならなかった。イスラム教は寛容と平和の宗教だ」(イスラム教スンニ派最高権威機関アズハルの法学者 ラマダン・アブデルラゼク師)

注:1月3日に書いた記事では「大仏」と書いたが、固有名詞であるので「大佛」にあらためた。

コメント ( 0 ) | Trackback (  )