唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
今日も今日の神奈川新聞から
親愛なる神奈川新聞の社会面で、東急東横線白楽駅前の書店「ブックス玉手箱」が、店主の急逝により閉店したことが報じられていた。その中にこんな一文が。
「シャッターには男性店主(享年62)の訃報を知らせる張り紙が」
訃報とは、広辞苑(第六版)によれば「死亡のしらせ」。新明解国語辞典(第四版)によれば「人が死んだという知らせ」。新明解に「人が」とあるのが違いと云えば違いであるが、そもそも「死亡」とは犬や猫の死ではなく、人の死の意味だから両者の云うところは同じである。
ポイントは、「訃報」と云う二文字には既に「知らせ」の意味が含まれていること。つまり「訃報の知らせ」という云い方は「女性のご婦人」と云っているのと同じなのである。ここは「逝去を知らせる張り紙」であろうか。まっこと言葉とは難しい。人が書いたものの間違いにはすぐに気が付くけれど、自分が間違って使っていても一向に気づかないから厄介である。
蛇足ながら、「享年62歳」ではなく「「享年62」は正しい云い方であるが、いろいろ調べてみると、今や「享年62歳」でも間違いとは云えないという論調になりつつあるようである。言葉は生き物。時代と共に変わっていくものなのである。
そうそう、今日の神奈川新聞の「照明灯」に辞書のことが書かれていた。この中に、学者芸人・サンキュータツオさんが「最近の辞書界の大きな話題は、『広辞苑』にようやく『ナウい』という言葉が載ったことです」と書いている、と書かれていた。
郷秋<Gauche>は「あれっ、いつの間に第七版が出たのだ!」と思ったのでしたが、どうやら2008年(平成20年)1月11日発行の(第六版)が最新のようである。7年前の出来事が最近のことであり、同時に「ナウい」と云う、既に全然「ナウくない」言葉が掲載されたことが話題であるという「辞書界」の常識に、あぁ、驚いた。