猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

中村かれんの「べてるの家」、ままならぬ こころ のユートピア

2020-06-21 23:07:23 | こころの病(やまい)

伊藤亜紗の『どもる体』に続いて、中村かれんの『クレイジー・イン・ジャパン べてるの家のエスノグラフィ』を読む。同じ医学書院のシリーズ「ケアをひらく」の一つである。

原題は、“A Disability of the Soul”である。『ままならぬ こころ』という気持ちだろうか。日本での本のタイトル『クレイジー・イン・ジャパン』は直接的で軽く、原題のほうが内容にふさわしい。

この本は、統合失調症患者のユートピアの里「べてる」のレポートである。著者の中村は、映像人類学者であり、プロテスタントの日系アメリカ人である。

カタカナで「ベテル」と書くと、旧約聖書に出てくる聖地で、ヘブライ語で「神の居場所」を意味する。ユダ王国の王ヨシヤが聖地をエルサレムに限定したことで、閉じられた聖地の1つである。

ひらかなの「べてる」は、北海道の浦河町にある、退院した患者たちのコミュニティである。

中村は、7年間にわたり、「べてる」のフィールドワークをおこない、元患者が自立して集団で暮らすさまを、アメリカ人として、社会学者として、他者の目から報告している。
元患者の個人ヒストリーやコミュニティ運営理念と実態、町の住人・警察・自治体・道庁・官庁との衝突を含む関わりあいを語る。これらは、まさに、日本社会の凝縮である。

中村は、「終章 べてるを超えて」で、このユートピアの里は存続していけるのか、の問題を提起している。これは、理想を求めるNPOのどこもが、直面する問題である。組織や体制として存続を望むのか、ユートピアとして存続を望むのか、ということである

「べてる」は、上下関係のない元患者たちの自立組織としてユートピアなのだが、自分たちの稼ぎだけではやっていけない。少なくとも、障害年金、生活保護が必要である。コミュニティが、NPOとして運営していこうとすると、さらに、色々な法規制がかかり、書類の提出を役所から求められる。元患者たちには 手の負えない書類であり、事務職員を雇用することが求められる。

社会は、コミュニティの存在を許さず、法の下の施設であることを求める。

そして、いっぽう、ユートピアを求めて新しい患者たちが次々とやってくる。「べてる」創立時のメンバーと意識が当然異なってくる。新しいメンバーは、「べてる」が何をやってくれるかの意識になる。創立時はクリスチャンの信仰をもとにコミュニティがまとまっていたが、創価学会の会員も当然はいってくる。もはや宗教がコミュニティを維持する核にならない。

ユートピアとは、実は、自然発生するものではない。
引っ張っていくリーダーと陰で支えるサポーターが必要である。「べてる」の場合、ソーシャルワーカーの向谷地生良(むかいやち いくよし)がリーダー、精神科医の川村敏明が陰で支えるサポーターである。

しかし、二人とも年老いて死んでいくのだ。だれが、その役割を引き継げるのか。

「べてる」は変質せざるを得ない。
もしかしたら、ユートピアでなくなるかもしれない。
しかし、伝説となることで、「べてる」は新たなユートピアを作る種子となって、風に吹かれて、日本や世界の各地に散らばっていく。
それが、著者、中村かれんの願いかもしれない。

中村かれんの「べてるの家」、耕平 UFO事件の物語

2020-06-21 23:06:46 | こころの病(やまい)

中村かれんの『クレイジー・イン・ジャパン べてるの家のエスノグラフィ』に、「耕平 UFO事件」の物語がある。

「耕平」とは、1971年生まれの「べてる」のメンバー、山根耕平のことである。「UFO事件」とは、彼が「べてる」にやってきて2ヵ月目の2002年1月に、「地球と会社を救うために、襟裳岬からUFOに乗って……」という声を聞き、宇宙船に乗ろうとした事件である。

バッグに荷物を詰めた山根耕平が、浦河から襟裳岬への行き方がわからず、ウロウロしていたところを、「べてる」のメンバーが、たまたま、見かけた。幻聴と妄想だと気づき、そのメンバーは、「べてる」の仲間のところに彼を連れて行った。

みんなは、彼が厳冬の襟裳岬にひとりで行くことに心配して、「今の季節、襟裳岬は氷点下十何度だよ」「宇宙船の着陸、難しいんじゃない」と言っても、本人は問題とせず、また、「宇宙船は何人乗りなの?」とか、「何色なの?」とか、「どんな形をしているの?」とかの質問に本人は答えていた。

ところが、ひとりが、「山根さん、浦河では宇宙船に乗るのに免許証が必要だって知ってた?」と言いだし、多数決を取ることになった。本人以外はみんな、「免許証が必要」に手をあげた。それで、本人も免許証が必要だと思いこみ、免許証を発行してくれる「川村宇宙センター」に行くことになった。浦河日赤病院の川村医師のところである。

山根は「宇宙センター」で「地球と会社を救うために、宇宙船に乗せてください」と言うと、川村医師がうーんと考えこんで、「山根君より2、3年前に同じく宇宙船に乗ろうとして、2階の窓からクリスマスイブに転げ落ちて、足の骨を折り、はって病院に来た人がいる。今のまま山根君を襟裳岬に行かせてしまうと、そうなりそうだから、ちょっと休んでいかない?」と言った。山根はそのまま、1 週間、入院した。

「UFO事件」はそういう事件である。

この本の原題は、“A Disability of the Soul(ままならぬ こころ)”である。

「妄想」は、他人がおかしいと思っても、他人から否定されても、本人はびくともしない。この事件のポイントは、まわりが、UFOを否定せず、免許証が必要だという話に転換したことだ。そして、川村医師が「休んでいかない」と最後のひと押しをした。

山根は、統合失調症の患者はひとりでいないほうが良い、と考える。みんなでいれば、だれかが幻聴や妄想に気づき、知恵を出し、危険から救い出してくれる。

統合失調症は、本人にとって苦しい やまい である。

山根が「べてる」に来たときは、幻聴に悩まされるだけでなく、普通にしゃべれない、10分前のことも思い出せない状態であった。

「しゃべろうとすると恐怖が蘇ってきてしまって、胃がぐーつと持ち上がったり、頭がぎぎーって痛くなったりして、それで、ウー、アー、あのですね……ぐらいの感じでしゃべっていました。」
「思い出そうとしても、余計なことを言ったらぶっ殺すぞって言われてきたことを思い出しちゃって、うーとなっていました。」

何が彼を「ままならぬ こころ」に追い込んだのだろう。

山根は 1996年 三菱自動車に入社し、データ解析部門に配属され、顧客やディーラーからの欠陥情報を担当した。

上司は山根に、設計や製造上の欠陥によって車やトラックに生じた問題や事故の報告を隠すように、命令した。自動車が好きな山根は戸惑ったが、会社が安全な車を作るために欠陥情報の共有が必要だと思い、上司の意に反し、社内向けのニューズレターを発行した。これが、組織的いじめを彼がうけるようにした。

無視される。隔離される。他の人が机をドーンと叩く。まわりに段ボール箱が積まれる。「余計なことをしたら、ぶっ殺すからな」とか「安全な車づくりなんてアホなことを言うじゃねーぞ、オラァ」とか「お前ひとりで会社を動かせると思うな」と言われる。

それだけでなく、彼は反省文や遺書をいっぱい書かされた。自分が今までいかに価値のない人間だったか、自分はこれから死ななきゃいけないか、を書かされた。

三菱自動車は、山根に辞表を書かせるためと、見せしめに、そうしたのでは、と私は思う。1970年代に、日立や東芝で、山根が受けたと同じ、組織的いじめの話を、私は聞いていた。

しかし、山根は、やめるのでなく、突然、会社への忠誠をぶつぶつと言うようになった。会社のために、死に物狂いに隠ぺいせよ、という幻聴が始まった。しかし、UFO事件が起きるまで、山根は、三菱自動車を守るため、その幻聴を誰にも言えなかった。

山根は、「べてる」に来る前の、2001年の9月に、抑うつ症と診断された。母親は、このままでは彼が死ぬのではないかと思い、近所のTBS番組『ニュース23』のプロデューサーに頼み、彼を「べてる」に連れて行かせたのである。

2004年に、三菱自動車が欠陥情報を隠したことが 発覚し、テレビで全国に報道された。そのとき、テレビを見ていた「べてる」の仲間は、はじめて、山根の言っている、欠陥情報の隠ぺい工作が、本当だと理解した。ひとは、一度、統合失調症だと刻印されると、すべてが、妄想とされる。しかし、妄想の中に、本当のことがあるのだ。

この5年、日本の色々な業種で、欠陥情報が明るみ出ている。会社が欠陥情報を組織的に隠すことで、山根のような良心のある人たちが、こころを病んだはずである。ぜひ、中村かれんの『クレイジー・イン・ジャパン』(医学書院)の「耕平 UFO事件」を読んで、日本の企業の闇を知ってほしい。

中村かれんの「べてるの家」、日本の精神科医療の批判

2020-06-21 23:05:23 | こころの病(やまい)

中村かれんの『クレイジー・イン・ジャパン』(医学書院)の「監訳者あとがき」に、
「本訳書では日本の読者にとっては必ずしも必要のない箇所などを大幅に削除したほか、構成を大きく変えたところもある」
と石原浩二が書いている。

インタネットで調べると、原書の第2章“Psychiatry in Japan”(日本の精神科医療)、第3章“Hokkaido and Christianity”(北海道とキリスト教徒)が、本訳書の本文から削除されている。

削除された第3章は、アメリカ人のプロテスタントで映像人類学者、中村かれんが、プロテスタントの圧倒的に少ない日本の現状をどう見るか、興味あるところである。

原書の第2章“Psychiatry in Japan”(日本の精神科医療)は削除されたのではなく、付録1に置かれたようだ。
付録1の日本の精神医療批判は、重要に思えるので、補足しながら、彼女の見た日本の精神医療の実態を、ここに、要約しよう。

《日本では、精神病患者を座敷牢に閉じ込めるという時代がずっとつづき、大正にはいって自宅監禁から病院監禁に変わっていく。1919年に精神病院法を制定し、公立精神病院に建設費用の半額、私立精神病院に建設費用の6分の1の助成金を与えることがきめられた。実際に病院監禁が普及するのは、1950年成立の精神衛生法が自宅監禁を禁止した以降である。》

しかし、病院に精神病患者を隔離すれば、問題解決ではない。

私が大学にいるとき、1968年、「閉鎖精神病棟粉砕」の立て看板が東大病院の前にあった。これが、東大闘争の発端である。閉鎖病棟の中で、患者の虐待、生体実験が、「精神医療」の名のもとで行われていたのである。
不幸なことに、この「閉鎖精神病棟粉砕」は、新左翼の跳ね上がりとして、結局無視され、宇都宮病院事件が起きる。

《1983年に、報徳会宇都宮病院の虐待を面会者に伝えたとして、入院患者が職員にリンチされ、死亡した。翌年、新聞にスクープされ、院長と4人の職員が殺人、暴行、詐欺の容疑で逮捕された。それだけでなく、宇都宮病院の死亡患者の脳が、普段から、東大医学部の武村信義医師に送られ、脳研究に使用されていたことが、発覚した。》

この精神病患者の虐待や生体実験は、日本だけではなく、世界的にあったのである。
これは、たびたびアメリカ映画のテーマになっている。アメリカでは公民権運動につづいて、患者の精神科病棟からの解放運動が1960年代に起き、特別の事情がないかぎり、統合失調症患者は通院で治療を受けることになった。

現在は、日本でも、患者は本人の意志で精神科病棟に入院していることになっている。鉄格子のついた閉鎖病棟は原則禁止で、精神科病棟には外とつながる公衆電話を置くことに、法律でなっている。
ところが、精神科病棟の半分で、公衆電話が置かれていなかった、と昨年、朝日新聞が報道した。
虐待は、今なお、精神科病棟に限らず、日本の閉鎖的施設、例えば、老人ホームや知的障害者利用施設でも、起きている。

精神科医の川村敏明が、浦河日赤病院の入院患者をゼロにし、コミュニティ「べてる」からの通院にもっていったことをインタネットで知り、私は彼をすばらしい医師だと思う。

櫻井武は、『「こころ」はいかにして生まれるのか 最新脳科学で解き明かす「情動」』(ブルーバックス)の中で、脳科学の人間の脳に関する過去の知識の多くが、てんかんや精神疾患の患者の生体実験から得られたものである、と語っている。
過去の負の歴史を隠さない、櫻井武の態度は、尊敬にあたいする。さもないと、人体実験がふたたび起きる可能性があるからだ。

現在、脳科学の新しい知見は、人間以外の動物、日本ではマウスでの実験で得られており、生体実験は必要でない。