猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

アレン・フランセスのDSM-5への警告『〈正常〉を救え』

2020-06-30 18:21:44 | こころの病(やまい)
 
アレン・フランセスは、米国精神医学会の診断マニュアルDSM-IVの作成委員長である。その彼が、『〈正常〉を救え 精神医学を混乱させるDSM-5への警告』(講談社)のなかで、精神医学では診断名に流行があり、また、正常と病気との境目があいまいである、と指摘している。原題は“Saving Normal”である。
 
〈19世紀末に、「神経衰弱」「ヒステリー」「多重人格障害」の診断が精神科医の間で流行したが、いまは、それらみんなはどこかにいってしまった。そのかわり、「注意欠如・多動症(ADHD)」「自閉スペクトラム症」「双極性障害」の診断がいま流行している〉
 
「神経衰弱」はノイローゼや神経症ともいわれ、「ヒステリー」と同じく日常語になっている。別に確たる意味がなく、相手や自分を揶揄する言葉として使われる。私が子どものとき、母が怒ると、兄は母に向かって「ヒステリー」とはやし立てていた。
 
19世紀に起源をもつ近代医学は、病気では何か人体の器官に異常が見いだされるという信念にもとづいていた。さらに、ロベルト・コッホは、1876年に炭疽菌、1882年に結核菌、1883年にコレラ菌を発見し、病気とは細菌に感染することとなった。
 
もともと、病気は体の不調を訴えることで、確認されるものであった。ところが、体のこの部分に異常が生じているとか、この細菌、あのウイルスに感染しているとかから、病気と診断されることになった。診断手段の進歩である。
 
私の場合でいうと、息切れがする、ということで病院を訪れた段階で「病気の疑い」、CT検査で心臓血管を撮影すると冠動脈疾患という「病気」が確定した。
 
新型コロナ騒動の場合、本人が体の不調を訴えなくても、症状がなくても、PCR検査で新型コロナウイルスが発見されれば、感染、すなわち、病人として隔離される。
 
しかし、メンタル不調の場合は、本人が苦しいと訴えることで、または周りが困っていると訴えることで「病気の疑い」とされ、「診療」が始まる。
 
もちろん、DSM-5に「メンタル不調(mental disorder)」の定義がいちおう与えられている。
 
〈精神疾患(mental disorder)とは、精神機能の基盤となる心理学的、生物学的、または発達過程の機能障害によってもたらされた、個人的認知、情動制御、または行動における臨床的に意味のある障害によって特徴づけられる症候群である。精神疾患は通常、社会的、職業的、または他の重要な活動における著しい苦痛または機能低下と関連する。〉(『DSM-5 精神疾患の診断・統計マニュアル』(医学書院))
 
漢字がつらなり、何か意味あるように感じられるかもしれないが、「心理学的、生物学的、または発達過程の機能障害」の部分は単なる枕詞で、CT検査などで見えるものではなく、各学派が病因の仮説をもっているよ、という程度のもので、確たるものではない。
 
「臨床的に意味のある障害」とは、英語の“clinically significant disturbance”を訳したものである。“disturbance”は “disorder”に近く、「困ったもんだ」というニュアンスの語である。診療医師が本当に困ったもんだと思う症候群が、“mental disorder”である。
 
症候群は“syndrome”の訳で、徴候(signs)と症状(symptoms)にもとづくひとつのカテゴリーという意味である。
 
多数のヒトたち、子どもたちを見ていると、確かに変わっているというケースに出あう。これは、平均的なヒトから、平均的な子どもから、大きく外れていることをいう。大きく外れているとは、確かに感覚的にわかる。しかし、優秀なヒトや子どもをみても、ふつうは病気とはいわない。脳の機能に欠陥がある病気だという場合には、価値観がかかわっている。
 
だから、「正常」「病気」ということには、もともと、怪しげなところがある。したがって、本人が苦しいと訴えることで、または周りが困っていると訴えることで「病気」とするしかなく、「治療」とは、頼られた者が訴える人のために何かしてあげる行為となる。
 
また、診断名にも無理がある。平均から外れるにはいろいろな方向がある。ヒトがヒトして生きていくには多数の心的知的機能を用いている。これらの不調を、グループ化して診断名を与えることは無理で、もしかしたら無意味なことをしているかもしれない。偏見や差別を強めているだけかもしれない。
 
しかも診断名と治療法が結びつくわけでもない。
 
「発達障害」の場合は本人の認識と周りの認識が違う場合が多い。親が子を「発達障害」と思い込むと、子の成長に気づかない場合がある。親の期待過剰の場合がある。
 
アレン・フランセスは、DSM-IVに「アスペルガー障害」を載せたことが、「自閉スペクトラム症」をはやらせてしまった、と後悔している。他の精神疾患と比べ、特に正常と病気との境があいまいであるという。精神科医による診断のばらつきがどうしても出てしまうという。
 
私は「自閉スペクトラム症」も疑っている。子どもの1%以上が「自閉スペクトラム症」だということが信じられない。ある人は3%ともいう。
 
子どもの権利が無視され、「集団主義」の価値が尊重され、「同調圧力」に屈するのが良い子とされる日本では、その価値観から「正常」「病気」の境界が作られるのでは、と私は心配する。実際には「知的能力障害(Intellectual Disabilities)」のほうが多いのではないか。「発達障害」の早期診断よりも、「知的能力障害」があっても、プライドをもって楽しく生きていける社会を作ることが、だいじではないか、と私は思う。