猫じじいのブログ

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レイチェルが米国精神医学会診断マニュアルDSM-5を診断する

2020-06-28 21:34:46 | こころの病(やまい)
レイチェル・クーパー

横浜市立図書館では、英文学書が原文で手に入る。例えば、J. D. サリンジャーやカズオ・イシグロが原書で読める。すばらしいことだ。

いっぽう、日本語でも、政治、哲学、医学となると、図書館にそろっていない。1か月前、朝日新聞の書評にあった『鉄筆とビラ』(同時代社)は今、他の市の図書館から取り寄せ中である。

きょう紹介したいのは、レイチェル・クーパーの『DSM-5を診断する』(日本評論社)と『精神医学の科学哲学』(名古屋大学出版会)である。これも横浜市の図書館が購入していないので、他の市の図書館から取り寄せて読んだ。
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ここでDSMとは、米国精神医学学会(APA)が出版している『精神疾患の診断・統計マニュアル』のことである。DSM-5 は、2013年5月に出版された最新版である。DSMはおよそ15年ごとに大きく改訂されている。

1980年のDSM-IIIで、初めて、mental diseasesという用語をmental disordersに改めた。この影響か、日本精神神経学会は2004年に「精神分裂病」を「統合失調症」と名前を改めている。

レイチェルによれば、DSM-IIIで大きな改革が行われた最大の理由は、当時のアメリカでの、精神分析への不信の爆発だという。同じ患者が、精神科医によって、異なる診断名を受けると、メディアは批判した。

米国精神医学学会は、DSM-IIIから、診断アルゴリズムをいれ、診断の客観性をもたすようにした。

そして、大事なことだが、米国精神医学学会はワーキング・グループをいくつも立ち上げ、数年かけて診断基準の公開の討議を行い、さらに1年かけて、異なる精神科医の診断がこのDSM-III診断基準で一致するか検証した。

さらに、DSM-III は、「証明されていない理論的な前提を用いない、純粋に記述的な分類となることを追求し」た。理論とは仮説にすぎない。異なるパラダイムに立つ、精神分析的思考の精神科医と生物学的思考の精神科医とが対話できるよう、理論(仮説)に捕らわれない分類(診断)を作ることができた、ともいわれる。

しかし、レイチェルは、実際には、多くの利害団体の格闘する場にDSM改定作業がなったという。保険業界、薬品業界、患者団体などが、DSMの改訂に影響を与えるようになったという。分類(診断)を増やすことは、薬品業界にとって新しい薬を開発し売る機会を増やすことになり、売り上げが増える。保険業界にとっては逆にサービス出費を増やし利益が減る。米国の保険会社は、DSMに記載されたmental disordersにのみ、支払いをするからだ。

したがって、改定作業にお金と時間がかかるようになり、今後も15年のペースで改定できるか、危ぶまれている。

レイチェルによれば、「アスペルガー症」はDSM-IVで初めて はいったが、患者の親たちは、この新しい診断名と保険会社のサービスが気にいり、患者数が急激に増加した。日本でも、うちの子は「アスペルガー」ですという親が出てきた。

2008年のウィリアムズらの研究によれば、「アスペルガー症」の診断を受けた子どもの大半は実際にはDSM-IVにおける診断基準を満たしていなかった。つまり、臨床現場(clinic)で医師と患者とが組んで新しい精神疾患が作られたことになる。

そして改訂にあたり、DSM-5から「アスペルガー症」を削除しようしたが、親たちが激しく抵抗した。そのため、DSM-5の自閉症スペクトラム症の診断基準に、
〈DSM-IVで自閉性障害、アスペルガー障害、または特定不能の広汎性発達障害の診断が十分に確定しているものには、自閉スペクトラム症の診断が下される。〉
という変な注が加えられた。これによって、学会は「アスペルガー症」を削除でき、「アスペルガー症」の子を持つ親が今まで通りの保険金を受けとれた。

とにかく、DSM-5では「アスペルガー症」という診断名はない。

レイチェルは、さらに、DSMが症状から診断名を与えることに医学会が専念するあまり、本質的な原因にさかのぼって考えることをやめ、患者に差別的烙印を押すことになっている、と警告する。まったく、同感である。

レイチェルは、注意欠如多動症(ADHD)の診断は、すべての責任を子どもにおしつける、と言う。もしかしたら、子どもたちが授業を妨害するのは、教師の教え方が退屈なのかもしれない。いや、小さな子どもは閉じ込められて算数をして日々を過ごすのにそもそも向いていないのかもしれない。単なる行儀の悪さの問題かもしれない。現代の養育スタイルがどこか不適切なのかもしれない。

しかし、ADHDの診断は、現場から、これらの可能性をしりぞけ、授業妨害の原因は子どもの脳の疾患とする。その結果、薬物療法が解決策とされ、教師や両親は悩む必要がなく、薬品会社の売り上げだけが増える。しかし、薬が使われすぎて副作用を生じるかもしれないし、その診断を受けた子どもの「人生上の好機」が減ってしまうこともありえる。

レイチェルのこれらの指摘は、現実に日本にも起きている、と私は思う。個別支援級が子どもたちの「人生上の好機」を取り除く差別的烙印になっている、と心配する。ゆっくりと学ぶ子どもたちがいてよい、と私は思う。