今回の自民党の総裁選の勝利者は安倍晋三であり、3Aである。3Aとは安倍晋三、麻生太郎、甘利明の陣営をいう。命名者は安倍自身である。
麻生は党の副総裁になり、甘利は幹事長となった。安倍の代わりの高市早苗が政調会長になった。総裁が変わったが、安倍はがっちり新政権を抑えている。
3週間前には、BS-TBSの『ひるおび』で、政治評論家の田崎史郎が、安倍の高市支持は右翼バネによる自民党の活性化をねらったものだが、総裁選の結果は最右翼の安倍の実力のほどを明らかにするかもしれない、と言っていた。
私は、田崎の言は安倍が政治の舞台から消えるという予言かと思ったが、そうではなかったようだ。
9月14日の朝日新聞は、自民党支持層の12%しか高市を自民党総裁にふさわしいとみない、と報道していた。
じっさいには、9月29日の総裁選では、高市は党員・党友票の19.4%をとった。想定より多かった。自民党支持層に人気があると言われる河野太郎は44.1%で、岸田文雄は28.9%である。
国会議員票に関しては、高市は30.0%もとった。岸田は38.4%しかとっていない。河野は22.6%である。岸田は3Aの麻生・甘利から国会議員票をもらっての結果である。
菅義偉は安倍路線を引き継ぐと明言して総裁選に勝ったが、岸田は明言しなかった。が、安倍の影響下からは岸田は抜け出れない。安倍のおかげで総理になったのである。
では、安倍路線とは何だろうか。2014年に田崎史郎に書かれた『安倍官邸の正体』(講談社現代新書)を見てみよう。
安倍は「経済、安全保障、教育の3つの危機の打開を政権の目標」に掲げた。(p221-222)
経済の危機とはデフレマインドのことである。2012年11月に「財務省、日銀の言うとおりにやったら間違ったじゃないか」と安倍は言って、インフレ目標政策を主張した。これに、当時の日銀総裁、白川方明は「中央銀行の独立性は長い歴史のなかから得られた、国際的にも確立されたものだ」「(インフレ目標の設定は)現実的でない。経済に対する悪影響が大きい」と反論した。(p135)
しかし、安倍は、白川とあったときの立ち居振る舞いをみて、「日銀くみやすし」と思ったという(p136)。すなわち、安倍の目からみれば、白川は学者タイプで、政治力(権謀術策にたけること)がないという。安倍は翌年、政権をとると、白川の後任に黒田東彦を据え、「異次元の金融緩和」政策を日銀にとらした。
安倍のもとで、株価はどんどん上がったが、働いているものの収入はあがらなかった。安倍政権は観光立国のように言うが、製造業と比べ、飲食業や観光業はどうしても生産性があがらない産業分野なのである。アジアのなかで、日本の工業生産力はどんどん後退していった。
「アベノミクス」がウソんコの政策だったからである。
安倍政権は、国民に聞こえのよいキャッチコピーをいって「国がお札をじゃぶじゃぶすればよいではないか」と国の財政赤字をどんどん拡大しただけである。また、年金問題を少子高齢化の問題に単純化し、働けない貧しい老人は死ねという社会的風潮に導いた。
安全保障の領域では、「積極的平和主義」のもと、戦争のできる体制を整えた。改憲は実現できなかったが、憲法解釈を変えた。憲法改正の道筋はつけた。
安倍は、憲法解釈の変更に反対する内閣法制局を抑えるために、法制局長官の山本庸幸を最高裁判事に移動し、外務省の小松一郎を長官にもってきた(p143)。外務省の官僚を法制局にもってくることは慣例に反する。この慣例を破る人事によって法制局の憲法解釈を変更した。そして、日本人などの生命と財産を守るために海外に自衛隊を派遣できるよう安保法制の改正をおこなった。
教育の危機では、安倍は「学力の低下」「規範意識の問題」を唱え、教育再生実行会議を立ち上げ、こまかい点まで教育行政を変更した。国語教育を「実用的」なものにする。英語教育やプログラミング教育を小学校で行う。私が問題とするのは歴史の書き換えや道徳教育だけでなく、中学の公民の教育で、市場競争の礼賛、ナショナリズム、政治の効率化という偏った考えを教えこむようになったことである。
安倍は戦略的に物事をすすめる。田崎のインタビューに安倍はつぎのように応える。
《いくら政権上の基盤があったとしても、ちゃんとした手順と戦略と人事ですね。態勢を組んでおかなければできないんです》(p148)
私がもう1つ加えるとキャッチコピーであろう。この点で、政権の電通や吉本興業などの芸能界の利用は大きい。それから、安倍は部下にテレビでどのように映るかに気を付けろと注意する。これも、キャッチコピーと同じく、国民は考えなく感じるだけだという、安倍哲学による。田崎はこの点についてはコメントしない。
田崎の視点の優れているところは安倍の人事への言及である。法制局長官の首のすげ替えもそうだが、2013年に最高裁判事に鬼丸かおる弁護士を起用した(p63)。メディアには女性判事が増えたとしか見られなかったが、じつは、このとき、最高裁事務局は一人だけを官邸に推薦した。安倍は複数の候補を示せとして任命を拒否した。慣例では、日弁連の推薦を得て最高裁が官邸の了解をもらうことになっていた。結局、安倍は複数推薦を押し通し、事務局がゆずった。この「人事は官邸が決める」は霞が関を震撼させたという。三権分立さえ、否定しかねない行為だったからである。
その後、菅義偉がひきいる官邸の「人事検討委会議」が各省が提示した人事案をつぎつぎと覆したという(p64)。
菅は、官僚操縦術として「まずデータをそろえ、次に論理的に説得、それで応じないなら人事権を使う」のだそうである(p183)。
ところで、菅が、昨年、日本学術会議の新会員6名の任命を拒否したのも、日本学術会議側が定員を超える複数の推薦を示さなかったからだと加藤陽子は言う。6名余分に推薦せよという官邸のメッセージである。しかし、安倍より、権謀術策が下手だったようだ。
安倍の場合には、法制局長官の場合のように手順を踏んでの人事をおこない、抵抗できないよう追い込む。安倍が任官を拒否する場合、その人を別の役職につけ、干したと見えないよう配慮をする。
現在、菅が任命拒否したので、日本学術会議の会員は6名の欠員ができたままである。岸田文雄はこの決着をどうするのだろう。
岸田文雄に安倍路線からぬけだせるだけの力量があるだろうか、はなはだ疑問である。陰謀の吹き荒れる政治風土が今後も続くと思われる。