先週の土曜日の新聞の人生の相談は「夫をストレスから解放してあげたい」であった。5つ年上の会社員の夫を心配しているのである。優しい伴侶である。
しかし、相談する文章は整理されキチンと書けている。編集員が文章を直しているのではないか、という疑問が浮かぶ。冷やかしの相談でなければ、相談するということは、相談者も苦しんでいるはずである。直接対面で相談受けたのであれば、苦悩が表情や声のトーンにでる。もともとの文章に心の乱れがでていなかったのか。
心を病んでいる伴侶を支えるのは大変だ。自分自身も病む可能性がある。
《専門機関に相談したほうがいいのか、でもわたしから言うのは出しゃばりではないか……。夫婦なのに何がしてあげられるのか分からなくて自己嫌悪に陥ります。》
もちろん、専門機関に相談した方が良い。いっしょに相談するのがよい。
問題はどこに相談するかである。精神科医やカウンセラーの腕の情報を集めないといけない。精神科医やカウンセラーの能力に大きな差異があるからである。
《夜中に飛び起きたり、自傷行為をしたり(私が止めました)》
自傷行為は自己否定の感情のあらわれである。と同時に、助けてほしいというシグナルであることが多い。だから、助けようとすることは「出しゃばり」でない。
夫からみれば、相談者は5つ下の妻である。夫は、かっこつけて、結婚までいったのかもしれない。本当の自分を見せたら見捨てられるのではないかと思っているかもしれない。夫に私が助言するならば、そんなことで離婚する伴侶とは、いっしょにいる必要がない。伴侶に率直に打ち分けるのでよい。
結婚するとは、互いに、仲間となって助け合い、全世界に対峙することである。
《最初は、結婚生活が負担になっている?と考えましたが、ストレスの原因は仕事だといいます。》
《無理に聞くのも逆にストレスになりそうなので、話してきたときはねぎらう、そうではない時はひたすら感謝してほめています。》
「ストレスの原因が仕事」というのが、具体的には よくわからないが、自営業では商売で騙されたとか、資金繰りがうまくいかないとか、が多いが、会社員では人間関係のことが多い。会社で不当労働行為を受けているかもしれない。「能力がない」「やめろ」「死ね」と言われているのかもしれない。この場合は労働運動に携わっている弁護士にも相談すべきである。
話しを聞くのは、相手の置かれている状況をよく理解し、適切な社会的行動をとるためである。伴侶は、自己否定に落ち込んでいるかもしれない。不用意な言葉は、相手が自分を非難していると受け取られやすい。
《仕事を頑張ってくれているのはありがとう。でもつらいのならいつでも辞めていい》
これはまずい言葉である。「仕事を頑張る」必要がないなら、「ありがとう」なんていう必要もない。この言葉は仕事をしろと聞こえる。「つらいのなら・・・・・・」は、見くだしているように聞こえる。適切な言葉が見つからなければ「うん、うん」と言って聞けばよい。あくまで、夫が不当労働行為を受けているのか、心が壊れて治療が必要かを、判断するために聞く。そして適切な機関に相談する。
「ねぎらう」「感謝してほめる」は、「夫をストレスから解放」するに、適切な行為ではない。夫の「自己嫌悪」「自己否定」を強めるだけである。「共感」するということは「同情」することと異なる。