安倍晋三は、『新しい国へ―美しい国へ 完全版』(文春新書)の「第3章 ナショナリズムとはなにか」で天皇制について自分の考えを述べている。これがわかりにくい。
最初に、現行憲法の「象徴天皇」は、敗戦後のGHQ(占領軍総司令部)の押し付けだと書いている。
《(日本)政府は、「日本は歴史はじまって以来、天皇によって統治されてきたので、いまさら共和国にするとか大統領を元首にするとかいう案は国民が許さない」として、天皇が統治権を総攬・行使するいう明治憲法の基本を引き継ごうとした。》
《両者の間には激しい攻防があったが、結局「GHQ案をのまないと天皇制そのものが存続できなくなる」という危機感から、象徴天皇制を受け入れることにしたのであった。》
ところが、安倍晋三自身は、この節に、「天皇は歴史上ずっと「象徴」だった」という見出しをつけている。そして、この節のおわりに、つぎのように書く。
《天皇は「象徴天皇」になる前から日本国の象徴だったのだ。》
この「象徴天皇」に関しては、安倍晋三は、合理的に考えているようだ。天皇は国民統治のための「操り人形」だ、という考えのようである。これは、明治維新において、下層公家の岩倉具視が、天皇を利用すべき道具とみなしていたのと同じである。
安倍晋三は、国民統治の手段としての「象徴天皇」は威厳が大事だという立場である。
保守系ジャーナリストの伊藤智永は、『月刊日本』2016年12月号に、つぎのエピソードを書いている。
《ある有力政治家が首相官邸で安倍首相に退位に反対を進言したら、安倍氏は執務室のカーペットにひざをついて「こんな格好までしてね」と応じた》
すなわち、安倍晋三は平成天皇をちゃかしたのである。昭和天皇のように、国民との距離を保ち威厳を見せるのが良いと考えていたのである。
安倍晋三の考える天皇の役割は、つぎの言葉に端的に示される。
《ほとんど混乱なく終戦の手続きが進められたことも大きかった。そしてそれは、国民の精神的な安定に大きく寄与してきた。》
この「それは」は、「象徴天皇」をさす。安倍晋三にとっては、単なる神輿だから余計なことをしてはいけないのだ。天皇は国民のために祈っていれば良いのだ。
《そうした天皇の、日本国の象徴としての性格は、今も(昔と)基本的に変わっていない。国家国民の安寧を祈り、五穀豊穣を祈る――皇室には数多くの祭祀があり、肉体的に相当な負担だが、今上陛下はほとんどご自分でおつとめになっていると聞く。》
安倍晋三信者は、本当に、『新しい国へ―美しい国へ 完全版』を読んだのだろうか。国家主義者とは王党派ではないのだ。
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では、天皇は、本当に、古代から「象徴」であったか。
まず、国民のために祈るのは天皇の仕事ではない。祈るのはシャーマン(巫女)の仕事だ。仏教の伝来とともに、国のために祈るのは、僧侶の仕事となる。
現在、天皇が行う祭祀は、いまから約140年前の明治時代に創作されたものである。それは、明治政府が「神仏分離」を行ったからだ。天皇を「神」かつ「神主」としたのである。
もともとの天皇の仕事は、軍事であり、裁判である。古代には、自ら軍隊を指揮し、武力で天皇にのし上がっている。
奈良時代、平安時代になると、貴族の力が強くなり、操り人形のようになるが、それでも、実権をもたない自分の存在が嫌で、「上皇」となり、権力を握ろうとした。
もっとも極端な例は、鎌倉幕府の討伐を命じた後醍醐天皇で、中国の皇帝の冠をかぶり、密教の法具を手にもった肖像画を書かせている。
天皇もただの人間である。たとえ操り人形として育てられようが、周りが威厳をもたせようと特別の人間であるかのように育てれば、図に乗って、自分はただの人間だと思わず、権力を握りたいと思ってしまう。
昭和天皇だって、日本帝国軍隊の総帥として、冠を被り、馬にまたがっておれば、勘違いをする。昭和11年2月26日に、陸軍将校は天皇の親政を求めて反乱を起こした。ところが、昭和天皇に、反乱将校の意図が伝わらず、激怒して、処刑してしまった。
昭和天皇は、自分は、特別の人間と考えていたのである。
威厳のある操り人形の「象徴天皇」とは無理な要求である。本人も周りの人間も国民も勘違いしてしまう。
思うに、天皇制は廃止するのが一番良い選択である。
れいわ新撰組の山本太郎には、天皇制廃止を政策に取り上げて欲しい。
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