猫じじいのブログ

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『ゆたかな社会』から見えるガルブレイスのマルクス論 

2021-04-14 23:30:34 | 経済思想


田中拓道の『リベラルとは何か 17世紀の自由主義から現代日本まで』(中公新書)の中には経済学者 J・K・ガルブレイスの名前が出てこない。ガルブレイスは歴代の民主党政権に仕え、不平等の是正、貧困の撲滅、公共部門への政府支出を訴えてきた。田中のガルブレイスの黙殺は不適切に思える。

これは、田中が、新自由主義とマルクス主義とを現代のリベラリズムの敵と見ていることと関係があると思われる。すなわち、ガルブレイスが、『ゆたかな社会 決定版』(岩波書店)の中で、カール・マルクスを評価していることが災いをしているのではないか、ということだ。しかし、黙殺はいけない。ガルブレイスがアメリカの民主党政権に加わってきたのだから、田中は、嫌いなら嫌いでよいが、何らかの位置づけを与えるべきだ。

ここでは、ガルブレイスが『ゆたかな社会 決定版』でマルクスや資本主義をどのように書いているか、みていこう。

ガルブレイスは序文につぎのように述べる。

《デイヴィッド・リカード、トーマス・ロバート・マルサス、さらに不可避な革命という帰結に至るまでのカール・マルクス、といった人たちの著作からは、人類の将来がぞっとするものであることが見えてくる。》

この意味は、マルクスが、経済学本流のリカードやマルサスと同じく、資本主義の暗い未来を予測しながら、マルクスだけが「革命」というものをその先に予測しているということだ。ガルブレイスは本文で つぎのように述べる。

《両者の違いは、リカードとその直接の継承者たちが資本主義制度は存続するとみたのに対して、マルクスはそれを否定した点にある。》52頁

《マルクスの使命は、リカードやマルサスとはちがって、欠陥を指摘し、罪の責任を追及し、変革を促し、そしてとくに規律的な信条を募ったことである。》96頁

経済主流派は、社会の富が増加すればよい、貢献した企業家がその富をとるのは当然だと考える。不平等を肯定するのである。

《競争社会――リカードの流れをくむ主流派経済学が考えた社会――においては能率のいい者が得をすることが前提されていた。有能な企業家や労働者は自動的に報酬を受けた。無能な者もやはり自動的にその無能あるいは怠惰の罰を受けた。》113頁

《どろぼう以外の方法で人が取得したものには所有権があるということが、自然法であり公平であるとして、いつも基本的な主張となってきた。》114頁

《所得を自由に享受できることは刺激として不可欠であると主張された。》115頁

《所得の分配がちらばれば支出されてしまうだろうが、もし所得が金持ちに集中的に流れこむとすれば、一部分は貯蓄されて投資されるに違いないというのである。》115頁

《教育や芸術を十分に補助する必要があるとすれば金持ちが絶対に必要である。》115頁

しかし、ガルブレイスは、人が勤勉であろうとなかろうと個人の力でどうしようもないことがおきると考える。そして、資本主義のもつ傾向が貧しい者がますます貧しくなるとしたら、「金持ちは何らかの方法で貧乏人にその富を分け与えるべき」という再分配が必要だとする。

《資本の集中が進み、生産設備や資源はますます少数者の手中に入り、その少数者の富は不断に増大する。》99頁

《雇い主である資本家との交渉において労働者の立場が全然弱いからであり、また労働者の賃金がよければ資本主義制度がうまく動かないからである。》96頁

《増減があるにせよ、常に失業が存在し、それが資本主義体制の一部になっていることである。労働者はこの予備軍にいつ放り込まれるかわからない立場にあるので、彼は協力的になり、示された賃金を呑まざるをえない。》97頁

《技術の進歩や資本の蓄積は一般の人びとの利益にはならない。》97頁

《さらに、資本主義はひどい不況への傾向を本質的に持っている。》97頁

《労働者の購買力が労働者の生産についていけないということが問題の点であった。その結果、買い手のない商品が累積し、恐慌は不可避的になるということだ。》98頁

これは、現在でも、当てはまっていることだ。

ガルブレイスのマルクス評価はつぎのようである。

《彼の目標は革命であったが、その方法は学者的であった。》102頁

《(マルクスに反対や無視する人びとへの深い影響は)社会理論におけるマルクスの業績が驚くほど偉大であったことの結果でもある。人間の行動のいろいろな要素を取り出して総合した点で、後にも先にもマルクスの右に出たものはない。社会階級、経済行動、国家の本質、帝国主義、戦争などはすべて体系化されていて、遠い過去からはるかな未来にまで及ぶ大きな壁画に描かれている。》101頁

ガルブレイスが下した評価の中でつぎは面白いと思った。

《(革命の次の段階では)マルクスは楽観論者である。いまやリカードのそれよりもずっと完全な自由放任への道が開かれる。なぜなら、政府というものは資本主義の必要と資本主義が生みだしたもうけ主義との産物なのだが、もうけ主義思想の現われである盗みを防いだり、大衆を警視したりする必要がもはやなくなるので、国家死滅し始める。しかし、不幸なことだが、革命がまず第1だ。》100頁

ここの「楽観論者」は考えが甘いという意味もこめられていると私は推定する。マルクスが、人間は自由であるべきだ、と考えていたことには同意する。

ガルブレイスがマルクスと大きく異なるのは、革命をしなくても、資本主義の修正で貧困を解決できるとみているところである。これは、ニュー・ディル政策が一定の効果があり、戦後にアメリカの繁栄を導いたことをガルブレイスが経験したことによると思う。

そして、ガルブレイスは、競争社会のもつ不安定性に対する「経済的保障」の重要性を訴える。金持ちは自分たちの力を使って不確実性を回避するようにできるのに対し、労働者の不安定性を回避する「経済的保障制度」がない。

田中のリベラリズムは、あくまで、中間層のためのリベラリズムで、依然として存在する貧困層や貧困層の予備軍のためのものでない。